それはひとえに『春永結生が部活動中は立ち入るべからず』という暗黙の了解があるからだが、残念ながら本人はそのことをまったく知らないようだった。

「……小鳥遊さん」

「はい。こんにちは、ユイ先輩」

 確認するような口ぶりに倣って、私もさきほどと同じ言葉で返してみる。

 転がった鉛筆を拾いあげながら前に回り込むと、ユイ先輩はようやく時を取り戻したのか、ぱちぱちと双眸を瞬かせた。   

 第二ボタンまで空いた白シャツに、オーバーサイズの黒ベスト。黒と白とその中間色しか持たない彼は、まじまじと私を見ながら信じられない言葉を口にした。

「君、学校やめたんじゃなかったの」

「えっ、いつの間にそんな突拍子もない話に」

 今度は私が驚く番だった。やめた、とはまた心外な。

「……。わかんない。どうしてかな。そう思い込んでた」

「えー、なんですかそれ。相変わらず先輩ワールド絶好調だなあ」

 ユイ先輩こと、春永結生。ここ、月ヶ丘高校の三年生。八割が幽霊部員の美術部における部長であり、業界では知る人ぞ知る天才高校生画家だ。

 否、正しくは『天才モノクロ画家』。

 彼は、鉛筆一本のみであらゆる世界を明瞭に映し出す鉛筆画を得意とし、いっさいパレットを持たない画家として名を馳せている。

 というのも、毎年行われる学生絵画コンクール──全国の若き画家たちがこぞって腕を奮うこのコンクールで、先輩は輝かしい経歴を残しているのだ。

 それも激戦区と恐れられる関東地区において、中学部門で三年間連続金賞受賞。その後、高校部門へ移り、現在二年連続金賞受賞。