「アベル様ぁ〜! お会いしたかったぁ!」

 甘えた声でアベルに擦り寄るのは、男爵令嬢オデットである。

 この世界では珍しい聖魔法の使い手で、ロアンデル王国が手厚く保護している少女。その身は神官預かりになっているはずだが、今日はアベルのいる王宮の敷地内にある塔にいた。この塔は王族専用の幽閉場所であり、部屋が逃げ出せない高い場所に位置する以外は、豪華絢爛な一室になっている。

 勝手な婚約破棄、王族にふさわしくない身の振る舞いを反省させるべく、国王はここにアベルを謹慎させている。
 しかし、アベルは門番を買収し自由に出入りしていた。日中は外出すると目立つので、こうして大人しく塔の中で過ごしているのだ。

 今日はオデットが「アベルに会わせねば国外に逃亡する」と神官たちを脅し、アベルの元へとやってきたのである。

「アベル様、私、おかしな噂を耳にしたんですぅ。第二王子が立太子するって」

 ちっとアベルが舌打ちをした。その話は事実だが、認めたくない事実だ。アベルの計画では、聖女を手にした自身が立太子し、オデットを王妃にしてやるつもりだったのに。全ての計画が頓挫している。

「まさか、嘘ですよねぇ? アベル様が第一王子ですもの! アベル様が未来の国王陛下になられるんですよね? 私を王妃にしてくださるんですよね?」
「うるさい! 久々に訪ねてきたと思ったら自分の心配か! お前のせいで俺は!」
「アベル様!?」

 アベルは苛立ちを隠さず拳を握りしめた。また一つ舌打ちをすると、護衛騎士に「この者を摘み出せ!」と命ずる。

「いやよ! アベル様! アベル様ぁ!」

 あの猫撫で声の娘の何が良かったのか、今では分からなかった。きっとセリーヌと離れてしまったことが原因だ。あの女は使える女だった。
 アベルの心の底にある仄暗い闇の感情が、沸々と湧き上がる。彼の眼はもう昔の輝きを宿してはいなかった。