さて、と言って、彼は腰を伸ばした。マネキンのように整った顔立ちが遠くなる。

「名前はあとから聞くとして。君はさ、いったい死とはなんだと思うかな? これを定義すると、つまり死とはどんなものだと思う?」

それは、人の名前を聞くよりも優先すべき、大事な質問なのだろうか。

大仰な問いとは思う。が、それは果たして、大切なことか、大事なことか。

少し、理解しがたく、度しがたく、答えがたい。

「死とはね、活動なんだ」

と、彼は私の答えを待たなかった。どうやら最初から、私の答えを聞くつもりはないらしい。

「少なくとも、死とは終わりじゃない。けれど、それが終わりであるというイメージが定着しているのは、人間の身勝手さにあるね。人間は、知覚できない時間を活動と認識できないからだよ」

「……なんの、話?」

「もちろん、君の」

平然と言われても、実感が湧かない。

初めからそうだ。あのバスに乗っていた時から。

ひと気のないバス。止まった時間。笑っていた男。死んだらしい私。彼の言うこと。

みんな、どこか実感が湧かない。実感が湧かないから、理解しがたい。理解しがたいから、感情が凪いでいる。だから、実感が、湧かない。