どうかしたのだろうかと思った。思って、首を傾げようとした私は――体が動かなかった。

なぜ?

おかしい。

動かない視界の中に、本を読んでいた男が見える。その手が、ページをめくる途中で不自然に止まっていた。

バスのワイパーも。つり革も。窓を落ちる雨粒も。『停止』するにはおかしい状態だった。

時の止まったように、世界は、あまりに静か。

チャカチャカチャカチャカ。

ただ、大学生のヘッドフォンからの音漏れが、聞こえる。

いや……そうではない。

「ふ、ふふふ」

大学生だけが、動いていた。

なにもかも『停止』している、静かな世界で。

視界には入らない私の右側で、男が笑う。

「よし、よし……今日は第四節で、か……。いいぞいいぞ。我ながらどんどん上手くなってる、感覚が掴めてきた」

独り言、らしい。やけに自己陶酔した独り言だった。

いったい、この世界の静けさはなんなのだろう。

バス一本遅れた私は、ひょっとしたら本当の本当に、地獄のふちに向かうバスに乗ってしまったんじゃないだろうか。

まったく動かすことのできない首、眼球を差し置いて、脳だけが疑問の浮沈行為を繰り返す。

そんな静寂と硬直の狭間に取り残された思考は、そうしてまったくの突然、ブラックアウトした。





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