神の種子は数少ないが、強く美しく善であり、徳と節制、敬虔をもたらす。

ケイケン
敬虔とは神の認識だ。

神を知る者はありとある善に満ち、大衆とは異なった知性を保持している。

それゆえに認識の内にいるものは大衆が気に入らず、大衆は彼らが気に入らない。

この人達は狂気のように思われ、嘲笑に晒され、憎悪の的となり、軽蔑され、あるいは殺されさえする。

なぜなら人々が言ったように、自己に相応しい領分として悪はこの地上に住み着いている決まりなのだからだ。

ただし、悪の領分とは地であって一部の者がなにかの折に冒涜的に言っているように、世界がそうなのではない。

これに対し神を畏怖する者は知識を認識し、万事に耐えるだろう。

それは万事が他者には悪であることも、善なのであるからだ。





   ~ヘルメス文書~