覆面作家と恋せぬ課長(おまけ 完結しました)

 


「私、滝行に行ってこようと思います」

「急にどうした……」

「心をなくそうかと」

 デビュー作書いたときみたいに、と衣茉は八尋と森を歩きながら呟く。

 自動販売機で買ってもらったコーヒー缶を握っていると、手だけでなく、心まで冷えていくような気がした。

 そのくらい、なにも書けない。

「すべての執着をなくして、世俗から脱却するため、滝行にいってきます」

「お前は何処に向かってってるんだ。
 世俗から脱却するって、俺のことも忘れる気か」
と言った八尋は、少し考えたあとで、

「またついてってやろうか?」
と訊いてくる。

 衣茉は、そろそろ秋の気配を感じる森をぼんやり歩きながら言った。

「駄目ですよ。
 課長がいたら、気になって、なにも忘れられませんから」

「えっ?」
と八尋は動揺したあとで、

「と、ともかく、滝行なんてやめろ」
とまた言ってくる。