紫陽花が泣く頃に



「喧嘩をするって悪いことじゃないと思うよ」

「……え?」

「だって俺は誰とも喧嘩したことない。両親は物心がつく前に事故でいなくなっちゃったし、ばあちゃんにも迷惑かけないようにって思ってたから」

不満に感じることがあっても、決して言葉にはしなかった。そのせいもあって友達はおろか、本音を言える人も作れなかった。

「喧嘩できる相手がいるって、すごいことだと思うよ。だって相手のことを考えて悩んだりできる絆が美憂と妹にはあるってことだから」 

「……千紘くん」

「あの紫陽花みたいに、また寄り添って仲直りできる時がくるよ、きっと」

「そうだね、ありがとう。私もいつか千紘くんとも喧嘩できるといいな」

暗い空気を変えるように、美憂がにこりと笑った。

「でも俺、喧嘩してもすぐに謝っちゃいそう」

「はは、千紘くんはそういうタイプだよね」

美憂の無邪気な笑い声に、心が和む。そして瞳を合わせた俺たちは自然な流れでキスをした。そのまま彼女のことを抱きしめると、身体は折れそうなほど細かったけれど、体温は変わらず温かかった。

「ねえ、千紘くん、約束して」

ゆっくり身体を離した美憂の瞳は、今までにないくらいに力強かった。

「もしもこの先、誰かを好きになったら私に遠慮なんてしないでね」

まるでそれは、いずれ自分がいなくなるみたいな言い方だ。

「後ろめたい気持ちなんて感じなくていいから、千紘くんが自分で選んで後悔しない選択をしてね。約束だよ」

小さな小指が、俺に差し出される。

約束なんてしたくない。美憂以外の好きな人なんてできない。そんな悲しいことを言わずに、これからも傍にいてよって、言いたかった。

でも、美憂の顔が真剣だったから言えなかった。

この言葉を受け止めなければいけない。

それが美憂のことを本気で想っている証のような気がした。

「わかった、約束するよ」

俺は、小指を繋げた。

「ありがとう。千紘くん。本当にありがとう」


美憂が心臓発作により息を引き取ったのは、それから十日後のことだった――。