冷酷な軍人は没落令嬢をこよなく愛す

「お待たせしました。」
居間の襖を開けると、
新聞を読んでいた正臣が立ち上がり行灯を持って近付いて来てくれる。

そう言えば…
今日はみんなが居たから2人きりで向かい合う事が余り無かった事に気付く。

「頭痛はもう大丈夫か?」

正臣が香世の頬をそっと撫ぜるから
ビクッとして心臓が躍る。

今の香世にとって、
男の人に触れられる事はもちろん
話す事だってままならないのだから…

病室でのマッサージでさえ何度されても慣れる事無くドキドキしてしまった。

これはいつか慣れるものなのだろうか…。
香世は正臣に手を繋がれて引かれて薄暗い廊下を行く。

「足元気を付けろ。」
土間に降りる上がり框の所で正臣は立ち止まり注意深く香世を見守る。

「大丈夫です。」
と香世も注意しながら段差を降りて草履を履く。

「風呂は余り長湯しない方が良い。
俺は近くで待ってるから気を付けて入ってくれ。」
退院してから1カ月は、
転んだり頭をぶつける事があると命取りになるからと、医者から強く気を付けるようにと
注意されている。

「はい。」
香世は安心させるようニコッと正臣に笑いかけ、風呂場に入って行く。

正臣は風呂場の前で佇みながら、
ずっとここに居るのもどうなのかと思いながら、怖くて離れる事も出来ない。

そう思うと、走馬灯のようにあの事件の日
犯人から突き飛ばされた香世が脳裏に浮かぶ……。

香世を失うかもと思った瞬間、
血の気が引いてまるで世の中が色褪せたように見えた。

もう2度あのような思いはしたく無い。