「おはようございます。」

誰かに声をかけられて、
手を止め振り返るとそこには
いつも新聞を届けてくれる本屋の息子が立っていた。

「おはようございます。ありがとうございます。」
頭を下げて新聞を受け取る。

「あれから毎朝、新聞をお届けしてるんですけどなかなかお会い出来なくて…。
心配しておりました。
女中のお仕事は、朝早くから大変ではないですか?
もし貴女さえよかったらうちの本屋で働きませんか?」

「あの…いえ、仕事ではなくて…。」

香世は今の自分の立場をどう説明するべきか迷う。


ガラガラガラ

突然、玄関戸が開いて振り向くとそこには
正臣が着流し姿で立っていた。

「正臣様⁉︎おはようございます。」

昨日の今日で恥ずかしくて
心拍が一気に急上昇するのを感じる。

女中のような事をするなとまた咎められるだろうか…

香世は節目がちになりながらつい緊張してしまう。

正臣は構う事なくつかつかとこちらに歩いてくる。

「おはよう。」
微笑みを浮かべながら頭を撫でるから
ホッとして香世も微笑む。

本屋の息子はその正臣の態度を怪訝な顔で見ながら、それでもペコリと頭を下げて挨拶をした。

「新聞をいつも有難う。」
正臣は素っ気なくそう言って彼を見据える。

「ただ、彼女は俺の婚約者だ。
気安く話しかけないで頂きたい。」

本屋の息子は
えっ⁉︎と驚き香世と正臣を交互に見つめる。

正臣から鋭い目線を投げかけられて背筋が凍るのを感じる。

「婚約者…ですか?

知らずに…お声がけしてしまい申し訳ありませんでした。」
そう頭を下げその場を後にする。

本屋の息子は密かに香世に恋心を抱いていた。それは香世が何度も通ってくれた女学生の頃から…。

身分違いの恋だと思っていた。
彼女を見るだけで、少し言葉を交わすだけで、満足する程の淡い恋だった。

香世がお店に来なくなってから、
樋口家のお取り潰しの話を聞いて不謹慎ながら、自分にもチャンスが来たのかもと思っていたのに…

二階堂中尉…
巷では冷酷無慈悲な軍人だと聞く。
彼女は大丈夫なのだろうか…。