冷酷な軍人は没落令嬢をこよなく愛す

朝起きて居間に行けば既に香世が起きていた。
「昨夜は寝てしまい申し訳ありませんでした。」
と、頭を下げてくる。

「気にしなくて良い。俺を待たずに寝ていてくれ。」
正臣は素っ気なく言って新聞に目を落とす。

朝食が運ばれいつものように向かい合って食べる。
2人共特に言葉を交わす事なく食べ進める。

正臣が気になるのは香世の心…ばかり。

「夕飯は何を食べた?」
元気がないように見える彼女の姿に耐え切れず正臣が話しかける。

「昨日は…白身魚を頂きました。美味しかったです。」
ホッとしたように微笑みを浮かべる彼女を
チラリと見て、俺自身もホッとする。

「そうか…。」
言葉をポツリと交わしながら、
昨夜の涙の跡については触れる事も聞く事も出来ない。
そんな臆病な自分にため息が出る。

「体調はどうなんだ?
女中の態度は改善したか?」

「寝不足だっただけだと思われます。
もう大丈夫です。

それに…女中の方にとっては
私がここにいる事自体、
不快な思いを抱かれていても仕方がないと思っています。
時間をかけて仲良くなれたらと思います。」
微笑みを浮かべ香世が言う。

正臣は思う。
彼女は強い…何よりも心が強く、
例え自分が傷付けられた相手だとしても、
それを許し理解しようとする包容力がある。

「あっ、昨日のプディングを持って来ます。」
思い出したかのように香世は立ち上がり、
嬉しそうに台所へと取りに行く。

「お待たせしました。」 

戻って来た香世が、
小瓶に入ったプディングをお皿に乗せて差し出してくるから、
正臣は何気なく右手を出して受け取ろうとする。
が、香世は動きを止め目を丸くして正臣を見入っている。

「どうかしたか?」

正臣がそう聞くと、
ハッとしたようにプディングを手渡し、
一歩下がって正座して手を畳について頭を下げて来る。

「なんだ?」
正臣は怪訝な顔をして香世を見る。

「あの…正臣様は、もしかして…
3年前の通り魔事件で…
私と姉を…助けてくださった方ですか?」

溢れ出しそうな感情を抑えながら香世は
一生懸命に言う。

「ああ、思い出したのか。
…そうだ。あの時香世はまだおさげ髪の女学生だったな。」
目を細めて香世を見る。

「その節は…
本当にありがとうございました。
貴方が助けてくださらなかったら、
私も姉も、今、生きていなかったと思います。」

深くお辞儀をしながら、
香世は溢れ出る涙を止める事が出来ず、
肩を振るわせ啜り泣く。

「泣くな。」

正臣は思わず抱き寄せそうになる気持ちを制御し、頭を撫ぜるだけで抑える。

「正臣…様は…命の…恩人です。
私は…どう…恩返しをすれば…いいのでしょうか…。」
泣きながら香世がそう言ってくるから、

「香世が今、生きて笑ってくれている事で俺は満足している。だから、もう泣くな。」

正臣はヒックヒックと泣くその小さな体を
抱き締めてその涙を止めたいと思う。

その度あの腕時計が目に浮かび、触れてはいけないと葛藤する。

「ほら、プディングを食べろ。
泣いていると香世の分も食べてしまうぞ。」

どうにかしてその涙を止めたい。

やっと、涙を拭きながら、
プディングを食べ出した香世の様子を伺い見る。

「美味しい…。」
ヒックヒックと肩を揺すりながら、それでも嬉しそうに食べる香世に
心底ホッとして、正臣もプディングを食べ始める。

目が合って、涙で濡れた瞳が不覚にも綺麗だと見入ってしまう。

「今日は何が食べたい?
香世の好きな物を用意させるから言ってみろ。」

「私…えっと…
…味噌まんじゅうが…食べたいです…。」
小さな声で呟くように香世が言う。

正臣は聞き逃す事なく、
「味噌まんじゅうと言えば萩花堂だな。
分かった、前田に言っておく。」
安堵して、フッと笑う。

香世も涙を拭きながら微笑みを浮かべてプディングを食べる。