○佐藤家の近所のスーパー(夕方)

夏休みに入った、ある土曜日。買い物カゴを持って、和紗と店内を見ている六花。

和紗「六花ちゃんってさ、貝が嫌いなんだって?」
六花「え、なぜそれを……?」

和紗はニコニコする。

和紗「前にあなたのお父さんに聞いたんだよ」
六花「でもどうして嬉しそうなんですか?」

和紗は軽く六花の背中を叩く。

和紗「やだなぁー!嬉しいに決まってるじゃん!まさか六花ちゃんからさー、『料理を教えてください』なんて言ってもらえるとは思ってなかったからさー!テンション爆上がりだよー!」
六花「あ……、良かったです。お仕事もあるのにご迷惑だったかなって思っていて、少し不安でした」
和紗「大丈夫だから、これくらい。それに土曜日だし?暇じゃないけど、たまたま暇だったし?」

和紗が嬉しそうな表情で、玉ねぎを手に取る。

六花「玉ねぎで何を作りますか?」
和紗「六花ちゃん、エビって食べられる?」
六花「はいっ!好きです」
和紗「あたしさー、ドリア食べたいんだよね。わりと簡単に作れるから、今晩ドリアにしない?」
六花「ドリア!ドリアって、グラタンにお米が入っているような見た目のお料理ですよね?」
和紗「……うん、まぁ、そうね。合ってるとは思う。あんまり食べたことないの?」
六花「はい。楽しみですっ」

和紗は「あはははっ」と笑う。

和紗「よし、じゃあ、早く買い物済ませて、パパッと作るよ!」



○佐藤家、キッチン

和紗とキッチンに立つ六花。

和紗「よし、じゃあさ、玉ねぎ切ってくれる?」
六花「どのように!?」
和紗「どのようにでもいいよ。食べられる大きさで、あなたの好きなように切って」
六花「……逆に難しいですっ」
和紗「難しく考えるからだよ。頭をやわらかくして、楽しく料理しなくちゃ」

きょとんとする六花。

和紗「え、何?」
六花「前に言われたことと似ていて」
和紗「?」
六花「私は頭の中が四角いらしいです」
和紗「あー……、四角い、まぁ、そうかもね?わからないけど」

和紗が曖昧に笑う。

和紗「でもさ、あなたは頭の中で色々考えていて、それが四角いってことなのかもしれないけれど」
六花「はい」
和紗「決して、嫌な四角さではないよね?」
六花「え?」

和紗が玉ねぎを手に取る。手際よくその皮をむいていき、キレイに洗う。

和紗「六花ちゃんのこと、あたし、もっと知りたいよ」
六花「……」
和紗「……」

和紗の手から玉ねぎを受け取る六花。

六花「私も」
和紗「?」
六花「私も、和紗さんと知り合っていけたなら嬉しいです」
和紗「えっ、そうなの?やった、あたし……」

和紗が言い合える前に玄関チャイムが鳴る。

和紗「はぁ?マジか、このタイミング!?」

舌打ちしながら、和紗は玄関ドアを開ける。

六花の父「ただいまー」
和紗「『ただいまー』じゃないし。自分で鍵開けて入って来てよ!本当、最悪のタイミング」
六花の父「え?何、オレ今、怒られてんの?」

父親は笑っている。

六花「おかえり、お父さん」

和紗の後ろから六花も玄関にやって来る。

和紗「もーっ、キッチンに戻ろう?お腹が空いてきちゃったからさー」

和紗が六花の背中を押して、キッチンへ戻る。

六花「では、僭越(せんえつ)ながら切らせていただきます」

玉ねぎをざくざく切っていく六花。その横でエビを洗って下処理をする和紗は、それを手早く終わらせて、しめじまで切っている。

和紗「よし、じゃあ、炒めるよ!」

玉ねぎをフライパンに入れて、適量のサラダ油で炒める。玉ねぎがしんなりして良い具合になったところで、エビやしめじも炒める。

和紗「これがホワイトソースになるんだ」

和紗はフライパンの中に小麦粉とバターを入れ、六花にフライパンの前の位置に立つように指示する。

和紗「牛乳を少しずつ入れるから、ダマにならないようにかき混ぜててくれる?」
六花「ダマ?ダマとは?」
和紗「うーん、説明が面倒だから、とりあえず混ぜて」
六花「は、はいっ」

和紗が牛乳を少しずつ入れて、六花はフライパンの中身をしっかり混ぜていく。

和紗「手早くね」
六花「はい」

リビングに居た父親がキッチンまでのぞきに来る。

六花の父「おぉ、ご馳走じゃないか」
和紗「もー、気が散るからっ!!テレビでも観ててよ!出来上がったら呼ぶから!」

すごすごとリビングに帰っていく父親。

フライパンの中が、次第にとろっとしたホワイトソースに変わってきた。塩、こしょうで味を整える和紗。ケチャップライスを入れたグラタン皿にホワイトソースをそれぞれかける。

六花「美味しそうですっ」
和紗「うん。美味しいよ!でも、まだだからね。この上にピザ用チーズをふります。六花ちゃん、チーズ多めがいい?」
六花「えっ!いいんですか、そんな贅沢!」
和紗「いいんじゃーん」

それをオーブントースターに入れる和紗。

和紗「焼き上がったら、完成!」



○佐藤家、ダイニング

テーブルに熱々のドリアが入ったグラタン皿、マヨネーズが添えられた小ぶりのグリーンサラダが並ぶ。それぞれテーブルの席に着き、両手を合わせる。

六花と六花の父「いただきます」
和紗「食べて!熱々だから、気をつけてよ!」

熱々のチーズがとろりと載ったホワイトソースを、ケチャップライスと共に口に運ぶ。濃厚な味わいに目を細める六花と父親。

和紗「美味しい?美味しい?」

和紗に何度も頷いてみせる六花。

六花「はふっはふっ、ほひしひでふっ(おいしいですっ)」
和紗「え?待って、笑えるからやめて。熱くて話せないんだよね?食べてから話しなよ」

六花は頷き、くすくす笑っている和紗に向けて親指を立てる。

和紗「うん、美味しいかっ!良かった!」

嬉しそうな和紗。父親も何度も頷きつつ、スプーンを口に運ぶ動作を繰り返す。

和紗「ねぇ、考えたんだけどさ」
六花「?」
和紗「六花ちゃん、あたしともしない?ごはん会」

六花は口の中のものをごくんっと飲み込む。

六花「え?」

目をきょとんとさせて、和紗をまじまじと見る。

和紗「週末にさ、こうやって三人でごはん食べよ?六花ちゃんさえ良ければ、料理だって教えるよ」
六花「……」
和紗「嫌、かな?」
六花「え、嫌ではないです。でも、ビックリしちゃって」

父親がスプーンを置く。

六花の父「お父さんも、三人でごはん会したい」

ちらりと和紗を見る父親。

六花の父「お父さん、いつか和紗と再婚したいって思っているんだ」
六花「……えっ」

父親と和紗が目を合わす。その様子を見ている六花。

六花の父「すぐにとは言わないけれど、でも三人の時間を増やしていきたいんだ。だからごはん会が出来たら嬉しい」
六花「……」

六花(変なの)
(私、二人に幸せになってほしいって思ってる)
(少し前までは、こんな気持ちにはなれなかったのに)

六花「うん。わかった」

六花が小さな声で頷くと、和紗がホッとしたような表情をする。

和紗「よ、良かったぁ」
六花の父「うん」
和紗「なんか緊張したら、マジでもっとお腹空いたっ!食べよー!」

和紗がスプーンに大盛りのドリアをパクッと食べる。

和紗「ぅあっち!」

和紗が涙目になる。次第にポロポロ泣き始める。

六花の父「……大丈夫か?」
和紗「だ〜いじょーぶ!これは、熱々食べて泣いてるだけっ」
六花「……」

六花(和紗さん……)
(きっと不安だったんだろうな)

父親が和紗の背中を優しくさすっている。その姿を見て、六花の心はあたたかくなった。



○佐藤家の玄関(夜)

和紗が靴を履いている。リボンの付いた、紺色のハイヒール。父親は靴を履き終わり、玄関ドアの前に立っている。

六花「じゃあ、気をつけて。和紗さん」
和紗「うん、ありがとう。……またね、六花ちゃん」

遠慮がちに和紗が言った「またね」に笑顔になる六花。

六花「はいっ!またね、です」

玄関ドアを開けた父親が片手を上げる。

六花の父「送って来る」

六花も手を振る。ふたりが出て行き、玄関ドアが閉まったその時、リビングに置きっぱなしにしているスマートフォンの着信音がかすかに聞こえる。慌ててリビングに行く六花。スマートフォンの画面には、「黒崎 平」の表示が。

六花「も、ももも、もしもしっ!!」

六花(あ。勢い余って、声が裏返った)

平『あはっ、角砂糖ってマジで電話に慣れてないな』
六花「はい、慣れてないです。でも、電話って好きです」
平『うん。わかるかも』

ほんの数秒、沈黙がおりる。

平『……ごめん、関わらないって言ったのに電話して』
六花「そんなっ!?嬉しいです!!」
平『角砂糖、元気にしてる?暑くて夏バテしてない?』
六花「元気です。平くんはどうしていますか?元気ですか?」
平『……オレさ、ちょっとだけバテてるかも』
六花「えっ!?」

平が電話越しに小さく笑う。

平『久しぶりに運動しているから』
六花「運動?」
平『オレ、今さー、うちの高校の野球部の練習に参加させてもらってるんだ』
六花「えっ!?」

六花の驚いた声に、平は嬉しそうに笑う。

平『坂巻と一緒に。中二以来の部活だから、他の部員について行くのに必死』
六花「そうだったんですね。野球の世界に戻ったんですね!」
平『うーん、期間限定的な?夏休みの練習試合にも出られないけれど、久しぶりにボール触れて嬉しい』
六花「……良かったです。私、結局坂巻くんの頼みの力にはなれなかったですけれど、平くんが嬉しいなら良かったです!」

笑顔になる六花。

平『ううん、角砂糖に言われたからだよ』
六花「え?」
平『角砂糖に野球が好きかって聞かれてから、頭の中のどこかで、もう一度、ボールに触りたいって思ってた』
六花「はい」
平『野球部の顧問の先生に、坂巻が頼みこんでくれたんだ。部員になるわけじゃないから、試合には出られないって条件だけど、練習になら参加していいって』
六花「部員にはならないんですか?」
平『うん。オレさ、野球のことすっげー好きだけど、今のこの期間は野球してる自分と、さようならするための期間なのかなって思ってる』
六花「さようならするための、期間」

電話越しに平が小さく笑う。

平『全力で部活に参加して、ちゃんとさようならする』

六花(そっか)
(それが平くんの『けじめ』なんだ?)

六花「……ちゃんと向き合えていて、すごいです」
平『そんなことないよ』
六花「応援しています!」
平『あはっ、ありがとう。角砂糖に応援してもらえたら、嬉しい』



○翌週の木曜日、駅前(夕方)

かっしーと会って、最寄りの駅に帰って来た六花。

六花(雨が降りそう……)
(かっしーも雨に降られる前に帰っているといいけれど)

鞄の中の折りたたみ傘を探す六花。ふいに、影がおりる。顔を上げると、目の前には羽奈が立っている。

羽奈「あんた、今はひとりなの?」
六花「う、羽奈さんっ!」

驚いて、一歩下がってしまう六花。

羽奈「逃げないで」
六花「っ!」
羽奈「今日は、謝りたくて。あんたにひどいことした。あたし、頭に血がのぼってた」
六花「……」

羽奈は駅のロータリーの植え込みのフチに腰掛ける。

羽奈「黒崎がこの間、あたしに会いに来てくれたんだ」
六花「平くんが?」

頷く羽奈。

羽奈「あたしのことは恋愛対象として見られないって、はっきり言われちゃった。……でもさ、黒崎って変わったよね?」
六花「?」
羽奈「昔だったら、もう放っておかれてた。オレには関係ないって顔してさ。あたしの話なんか聞いてくれなかったと思う」
六花「そうなんですか」

羽奈は六花を指差す。

羽奈「あんたが変えたのかもね?」
六花「え?」
羽奈「あんたの話する時、あいつ、めっちゃ優しい表情すんの。マジむかつくけどね」
六花「……」
羽奈「あ〜ぁ、好きだったんだけどなー!」
六花「……」

羽奈は立ち上がり、明るいピンク色の髪の毛をいじる。

羽奈「あんな顔見たらさ、もう無理じゃん?仕方ないって思うじゃん」
六花「羽奈さん……」
羽奈「あんたのこと、好きになれなくてごめんね。羨ましすぎて、好きにはなれない」
六花「羨ましい……ですか?」

羽奈はゆっくり頷く。

羽奈「あたしのほうが可愛いし」
六花「……はい」
羽奈「あたしのほうがスタイルも良いけど」
六花「……うっ」

羽奈はニコッと笑う。

羽奈「あたし、それだけなの。空っぽだからさ」
六花「えっ」
羽奈「あんたに嫉妬してんの」
六花「……」
羽奈「それにさー、彼氏が黒崎って!なーにそれ!マジ羨ましいしマジむかつくし!」
六花「だから、付き合ってないんですよ」

六花は呆れつつ、でも思わず笑ってしまう。

羽奈「大丈夫だよ、あんたは。これから先、きっとうまくいく。だからさ、あんたはあんたのままでいてね」
六花「はい」

羽奈は「じゃね」と言って、背中を向ける。歩き出して、思い出したかのように振り返り、「多分ずっと好きになれないけどねー」と、笑顔を見せた。



○夏休みもあと残り10日程の火曜日、佐藤家の六花の部屋(夕方)

学習机に置いていたスマートフォンが振動する。六花が画面を見ると、平からのメッセージが届いていた。

平からのメッセージ《明日、野球部の練習参加が最後なんだ。良かったら部活の後に会いたいんだけど》

六花は嬉しくなり、思わず笑顔になる。

六花のメッセージ《はいっ!明日、会いたいです!》

それから待ち合わせなどの約束をして、スマートフォンを置いた六花。

六花(明日っ!会える!!平くんにっ!!)

テンションが上がって、ベッドにダイブする。

六花「やったぁーーーっ!!」



○翌日、県立N高等学校のグラウンド(昼過ぎ)

野球部が練習をしている。その様子を六花がグラウンドのそばで見ている。

六花(わぁ〜、平くんが野球してるっ)
(カッコいいーーーっ)
(日焼けしてる?)
(一生懸命に練習、頑張ったんだなぁ)

しばらくして練習が終わり、顧問の先生に坂巻と二人、何か話している平。しばらく話していたけれど、平と坂巻はお辞儀してその場を離れる。グラウンドから、グラウンドの端にある部室に移動する平が、六花の姿を見つける。すぐそばにいた坂巻も六花に気づく。

坂巻「りっちゃーーん!」

坂巻が大きく手を振る。六花はなんとなく照れながら、手を振り返す。平も片手を上げてくれる。

六花(わっ!平くん、笑顔だっ)

嬉しくなって、心臓がドキドキと踊り出す六花。

平と坂巻は部室に入り、しばらくすると制服に着替えた平が小走りで六花のもとへやって来る。

平「角砂糖っ」

小走りで近寄ってきてくれたこと、嬉しそうな表情で呼んでくれたことに、胸がきゅんとなる六花。

六花(あぁ、溺れそう)
(平くんへの恋心が)
(いつの間にかこんなにも深いものになってたんだなぁ)

平「角砂糖、約束より早く来てくれたんだ?」

六花は大きく頷く。

六花「練習しているところ、一度でいいから見てみたかったんです」
平「マジか、練習の時からいたんだ?」

照れたように笑う平。

六花「あの、かっこよかったです……(だんだん小声になる)」
平「っ!」

二人で赤い顔になる。

平「……角砂糖、ありがとう」
六花「え?平くんがカッコいいのは私のおかげではありません」
平「あはっ、何言ってんの!違う、ちがう!野球の世界に戻してくれて、ありがとうっ!!」
六花「えっ!?あ、いえ、それは……」

まだ六花が何かを言いかけてた言葉を遮って、平が六花に話しかける。

平「もう未練ない。自分の中でも、けじめがつけられたと思う」
六花「あ、はいっ!」
平「だからさ、オレの気持ち、角砂糖に伝えてもいい?」

六花はきょとんとする。

六花「え?」

平は六花の目をまっすぐに見つめる。

平「抱きしめていい?」

六花の体を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる平。さわやかなシャンプーの香りに包まれる六花。急激に心臓が飛び跳ねる。そんな六花の耳元に唇を寄せて、平は囁くように言う。

平「好きだよ、角砂糖」
六花「……えっ?」
平「オレ、これからも角砂糖のそばにいてもいいかな?」

平が腕の力を強める。

六花(あ……)
(平くんの心臓の音、速い)
(一緒なんだ?)
(私と、一緒の気持ちなんだ?)

六花「……嬉しいです」

六花も両手を伸ばして、平をぎゅっと抱きしめる。

六花「ずっと、もっと、そばにいてほしいです」

ドキドキして甘ったるい。聞こえるのは、お互いの心臓の音。ふわふわして、やわらかい心地。だけど切なくて、なんだか泣きそうになる六花。そんな時間を壊したのは、坂巻の大声だった。

坂巻「何やってんの、お前ら!学校でいちゃつくんじゃありませんっ!!」

ハッと我に返り、体を離す六花と平。坂巻は嬉しそうに、また大きな声で言う。

坂巻「やっと恋人同士になったってわけ?おめでとうーーーっ」
平「うるさいからっ!あっち行ってろよ!」
坂巻「へいへい、お邪魔虫は退散しますよぅ〜っ!」
平「お前、あとで覚えてろよ」

平を見ると赤い顔をしているけれど、嬉しそう。

六花(私もきっと同じ顔してるんだろうな)

そう思うと、心の中から喜びの花がどんどん咲いていくような、ウキウキした気持ちになるのを感じた六花。



○学校の近くの公園

ブランコに並んで座っている六花と平。

平「暑いな」
六花「はい。でも風が少しあって、気持ちいいくらいですね」
平「……あのさ、角砂糖」
六花「?」

平が言いにくそうに、少しうつむく。

平「ずっとごはん会、してなかったじゃん?今度さ、ごはん会しない?久しぶりに」
六花「えっ!?いいんですか!?」
平「うん、次の金曜日においでよ」
六花「行きますっ!!」
平「それで最後にしよう?」

平の言葉がよくわからなくて、きょとんとする六花。

六花「え?最後……って?」

平は六花を見る。

平「次の金曜日のごはん会で、ラストってこと」

ぴゅうっと風が通り抜けていく。

六花「えっ……」

六花は混乱した頭で、ただ平を見つめ返していた。