空一面が薄暗くなってき頃。
散々泣きつくしてただれた目をしていた和葉はボーっとしながら布団の中にうつ伏せになっていると、畑作業を終えて戻って来た拓真は扉越しに声をかけた。
「和葉、起きてる? 時間も遅いしそろそろ帰るぞ」
ーーそれは、出会ってからずっと平行線だった関係に小さな変化が芽生えた瞬間だった。
和葉は呼びすてに気付いた瞬間、稲妻級のスピードで枕から顔をガバッと上げて扉方向に目を向けた。
えっ、呼びすて?
今までは『アンタ』や『お前』とか、間接的な呼び方だったけど……。
ようやく名前を覚えてくれたんだ。
和葉は弾けるように気分が舞い上がると、上半身を起こして返事をした。
「ねぇ、いま『和葉』って呼び捨てにしたよね?」
「お前の名字……忘れたから」
扉越しに背中をもたれて腕を組んでいる拓真は小さく呟いた。
「名字なんて一生忘れてていいっ……。和葉、今すぐ行きま〜す!」
金髪を失ったのは辛かったけど、拓真の些細な言動によって嫌な事が全て帳消しになってしまうのは何故だろう。
和葉は花柄シャツと紺色のストライプ柄の作業着姿から一瞬で着替え終えると、拓真が待つ居間へと駆け込んだ。
拓真は日没後の人通りが少ない駅までの道を送る事に。
道中はすっかり機嫌が回復した和葉が置いて行かれないように、泥のついたピンヒールの靴でちょこちょこと小走りでまとわりついた。
「ねぇねぇ、彼女はいないの?」
「知る必要はないだろ」
「拓真ってさ、顔は超絶イケメンなのに意地悪で捻くれた性格だから彼女が出来ないんだよ」
「……っく、変人変態のお前に言われたくねーよ」
「だから、ここにいる超絶美人の和葉が拓真の彼女になってあげるってば。ね、光栄でしょ?」
「座敷わらし近寄るな、あっちへ行け」
いつもみたいに目を釣り上げた拓真は、シッシと犬を追い払うように手の甲を二度外に払った。
でも、意地悪なんて気にしない。
だって、拓真の心に私という存在感が芽生えてきているから。
和葉はトコトコと早足で拓真の前に周って撫でるような目線を向けた。
「ねぇ、もしかしたら私達身体の相性もピッタリかもよ」
「お前、今どこを見た」
「拓真の全身の隅々まで」
「……っ、相変わらず最低だな」
拓真は眉間にシワを寄せて早足で和葉の横を通り抜ける。
「拓真ぁ〜、待ってよ〜。そんなに早く歩いたら和葉のピンヒールが骨折しちゃう」
「大丈夫だ。お前なら図太い神経の持ち主だから、ヒールは折れてもちゃんと家に帰れるはず」
「もう、意地悪〜」
そう言って顔をしかめながらも、先行く彼の背中を追いかけていく。
キツい冗談を言われても、今こうして身を心配してくれる事が全てなんじゃないかと思ったら、全然頑張れる。
駅に到着。
拓真は別れ際に頭にポンっと手を乗せてひと言。
「今日は助かったよ。気ィつけて帰れよ。じゃあな」
そう言うと、背中を向けて来た道を戻って行った。
和葉は拓真の背中を眺めながら、余韻が残った頭を軽く触れて笑みをこぼす。



