蓋をしていた記憶



「僕の方が先に斡旋を提案されて、先生になぜですかと理由を聞いたら、先生、なんて答えましたか?」

「いや‥、覚えていない。もしかして、キミの記憶違いとかではないのかい」

「あなたはその他大勢の中の一人に言った言葉であっても、自分の将来を決める大事な一過程での言葉のやり取りだったんですから、こちらに記憶違いはありません」

「…ちょっと、端で話そう‥」

鬼島はさほど大きな声でも興奮した口調でもなかった。
むしろ、声のトーンは丸島の方が大きかった。
言うまでもなく、周りの元同僚教諭たちにもリアルタイムで見分させたかったからである。
先ほどの矢口のように…。

しかし、丸島はここまでの話で、自分にとって”不都合な”会話になると単純に量れたので、他の教師の耳に入らない場所へ移ったわけだ。
ごく簡単な心理に従って。


***


「…まず聞こう。君の記憶がそう間違っていないとしてだ、私は君に何と言ったんだね?」

「先に僕へ斡旋したことを認めず、かといって、絶対それはなかったとは言い切りませんでした。その上で、もう一人の内申の方が上だぞと、僕に言ったんです」

「いや‥、私の記憶にはないな」

「では、仮に今僕が言った事実があったとして、進路指導の責任者だったた先生なら、どう対処されますか?僕の記憶通りの対応はなさらないと断言できますか?」

「仮定の話には答えられないな。すまんが、私は席に戻るよ…」

「そのお答えは、”今の世の中”では肯定してることになりますね。公務員の悲しい習性ですよ。教師なんて聖者でも何でもない、我々と同じただの俗物です」

「何が言いたいんだね、キミは…」

丸島はいぶかしげな表情で詰問調になっていた。

「端的にあの企業に行けなかったことで、僕の人生は散々なものになった。だから、先生を恨んでます」

「そんなの逆恨みだぞ。そもそも自分の人生っていうのは…」

「逆恨みですよ、先生」

ここで鬼島は丸島をさえぎって、能弁な口っぷりで続けた。

「…認めてますよ、自分でも。それは僕の感情的な帰結だからです。もし、ここであなたが記憶から消えていたとしても、僕の言った通りのことがあったという前提で構わないので、その対応は教育者として不適切だったと一言ください。言ってくれれば、その逆恨みという感情は消滅できるです」

「…」


***


「…どうですか?今一度お尋ねしますよ。…僕の記憶に間違いはありません。当事者が丸島先生だということも。その上で、先生が覚えてらっしゃらないなら構いません。でも、僕の記憶通りの前提でなら、進路指導担当の先生として適切な対応だったと言えるのか、お答えください」

「…私の返答は今の繰り返しになる。自分が言った記憶がない、仮定の問いかけには答えることはできないさ」

「そうですか。では、僕の逆恨みは消えないままです」

「勝手にしたまえ。じゃあ、これでな…」

「先生には、1年後の今日、今度は書面で今の問いかけ、謝罪の要求をさせてもらいますから。それでも今と同じなら、この同窓会の日ぴったりの消印で毎年送らせてもらいます。今日は逆恨みを持ち帰りますよ、先生」

鬼島はそう言って丸島に背を向けると、会場の中央に歩いていった。
彼は少なくとも、最後まで平静であった。

むしろベテラン教師の立場である丸島の方が動揺していた。
その意味するところは明白であったが…。


***


”鬼島則人は約束通り、その同窓会からちょうど一年後に、私の自宅へ最初の手紙を送ってきた。正直、差出人が鬼島の名字であっても、同窓会でのやり取りはすぐ頭に浮かばず、そのまま封を開けたな…”

丸島はその時、同窓会での記憶を呼び起こせなかったのだ。
ただ何も考えずに、たぶん過去の教え子かなといった軽い気持ちで封を切ったのだ。
そして、中からとりだした手紙の文面を読んで”記憶”が戻った。

”中身の文面は、同窓会の場で彼が私に求めた主旨通りだったな。ただ、文書での返答でも電話でもどちらでも構わないと記してあったが…”

だが丸島は、返事も何らの連絡もすることはなかった。
理由は同窓会で鬼島に告げた時と同様であった。
つまり、丸島は”1年後”も鬼島をスルーしたのだ。


***


”その次の年も、ぴったり同じ日付で鬼島は手紙を送ってよこした。中身は全く一緒だったが、前回同様ワープロではなく自筆の非複写だったから、改めて自筆で書き綴ったはずだ。だが俺は、迷うことなくそれまでと同じ対応をとった。だが翌年は…”

鬼島からの”文面”に変化があったのは、3年目だったのだが…。
それは、言わば”最後通告”に相当していた。
厳密には、脅迫まがいの…。