動く血のり



「お父さん!何かあったんじゃないの?」

それは咄嗟に出た言葉だった。
思わず声のボリュームも高くなり、近くの乗客も何人か振り向いていた。

「…」

二人はしばらく沈黙のまま、顔を見合っていた。

「唐突だな、奈緒子…。はは、びっくりした」

「じゃあ、やっぱり、何かあるのね!話して、お父さん…」

「お父さんなあ…、停年のカウントダウンを控えて、浮かれていたと気づいたんだ。このことイコール、幼いころからの娘、奈緒子への態度に直結してた。今、目の前の霧が晴れたんだ…」

「今回、家に帰った時のお父さん、今までと違ってた。お正月にもリカを連れて会ったけど、やっぱり、どこか心の中のイチモツは消えなかったのよ。それなのに…。だから、教えて。お父さんを変えた出来事を…」

奈緒子は何かに憑りつかれたかのようだった。
この時の彼女はなぜか、無性にそうせっつかざるを得なかったのだ。


***


「…数年前、ある同窓会で受持ち外の男子生徒から”その当時”のオレの”不適切”を指摘されたんだ。だが、遠い記憶だったし‥、彼の言い分を認められなかった。相変わらずの背伸びだった。…自己の責任を全うするためにって、自分への戒めなはずの背伸びって、結局のところ、自己保身だったんだよ…。それに気づいたせいだと思う。この前も言ったけど」

「それだけなの?数年前の出来事が、何でお正月じゃなくて半年後の今なの?」

「…はは、奈緒子、目から鱗ってのはさ、ちょっとしたきっかけからだしね。でも、お前の気遣い…、お父さんは嬉しいよ」

「お父さん…」

奈緒子はこれ以上聞かなかった。

”奈緒子…”

丸島も奈緒子にはこれがいっぱいいっぱいだったのだ…。


***


「じゃあ、今日は何も異常はなかったんだな?」

「ああ」

「夢、二晩連続でこなかった。そう伝えていいな、鷹山さんには…」

「うん。そう伝えてくれ。それで…、どうかな、例の手紙の”診断”とかは…」

「ああ、今から言おうかと思ってたところだ。…夕方、鷹山さんか連絡入ってな…。それがさ…」

和田のその口っぷりから、明らかに何か大きな動きが読み取れた。

「…何なんだ?あの手紙、何かわかったのか!」

丸島は思わず詰問調になった。

「…ああ、鷹山さんな、例の手紙を持ち帰った後、ぞっと裏面、すなわち封をした例の赤いシミに向けてカメラ撮影を継続させたらしいんだが…。

「何か映っていたのか!」

「動いていたそうだ。あの赤い血のりみたいなの…」

「!!!」

丸島は完全に固まってていた…。


***


「何ですって!鷹山さん、どういうことですか、気のせいとかじゃあないんですか?」

『いえ、各倍速で何十回も再生精査して、専門家にも見分してもらった結果です。ランダムながら、シミが生き物のように不規則移動を繰り返してるんです』

「…」

『問題は、その移動現象がその封筒に何をもたらすかということですが…』

「何なんですか、それって!」

『まだわかりません…。だが、ある意思が働いてるとしたら…?』

「鷹山さん!もしや‥、その意思って…、死んだ鬼島の…!」

『和田さん、あのシミ、やはり血液でした。人間の…』

「鬼島の血液なんですね!」

『一民間機関では、さすがにDNA鑑定までは無理ですよ。今の段階では断定できない。その前提で前に進むしかない…』

「…その前に何が見えるんです、あの血がヤツの意思で動いてるとして…。えっ?まさか…!!」

『開封の作用をもたらしてる可能性は排除できません。今の状態ではやたらに手を加えられないし、安易に触れることもリスクを伴うし‥』

「どうするんですか!丸島にはどう伝えれば…」

『今、国上さんという、念じかけの包囲を理論的に施術する霊能者の方に見解を伺ってます。何しろ、丸島さんご本人、それと周囲の方の変兆、異常の確認を漏らさず戻してください。進捗度も予想以上に速い気がします。和田さん…、鬼島氏はかなり深読みをしてるよ。余談ならない。”強敵”だ…』

「…」


***


「…ふう、鷹山さんは全力を尽くすと言ってる。国上さんもアライブの事務所で張りついてくれるそうだ。丸島…、国上さんは何より、鬼島がどこに終着点を置いているか…、そこを突きとめないと、念じ波、つまりヤツの呪いを封殺できないということだ。その為にも、次の現象はカギになるとな。もう一度確認するぞ、昨夜から一切、気になる変兆はないんだな…?」

「ああ。今んとこはな。何かあれば、夜中でも連絡入れるよ」

「うむ…。オレよう、昨日の丸島家を肌で感じて、鬼島を許せない感情が込みあがってな。今まではどこか、気の毒がってた気は少なからずあった。だが、こんな呪いなんてとち狂ってるよ。オレは絶対、お前を鬼島から排除してやるから…」

”和田…、すまん…”

丸島は歯を食いしばって、胸が引き裂かれるほどの葛藤と戦っていた…。