娘からの言葉



「実は土曜の夜も見たんだ。確かに変な夢だったけど鬼島とは結びつけてなかったんで、おまえにも言わなかったんだが、昨夜まただった。あのさ、柳の木がさ…」

「わかった。その夢の件も、明日話してくる。念じ人とお前が一緒だった高校に植わってた木だという前提でな」

「よろしく頼むわ。H高校には明日、早めに家出て回ってくる。本当その気があるか、確かめてみるから。はっきりし次第連絡するしな」

「俺のカンじゃああるな、そのくびれ柳は…。その際は画像も忘れるな。木だけでなく、地面も細かく撮った方がいい」

二人はてきぱきと申し合わせを済ませ、ひと段落したところで、丸島が話題を変えた。


***


「…よころでさ、昨日から奈緒子が娘のリカを連れてウチに来てるんだ」

「そうか!はは…、もう奈緒子さんも一児の母だし、何と言ってもオレたちと同業で何年もキャリアを積んでる。どうだ、うまく接せてるか?」

「まあ、なんとかだ。今日は一緒の電車で学校にな…。お前の教え子の手嶋君をまずは出しネタで、とりあえず会話が持った(苦笑)」

「アハハハ…。丸島、よかったな…。ぶっきらぼうだったお前を長年支えてくれた奥さんだけでなく、奈緒子さんやお孫さんのためにもよう、無事定年を迎えて楽しい終活を満喫しろよ。そのためにもな…」

後段での和田は、何ともしんみりした口調になっていた。

「ああ、わかってる。和田には今までもずっと力になってもらってきたが、さすがに今回はお前が頼りだ。オレも踏ん張るし…」

長く家族ぐるみで親しく付き合ってきた和田は、丸島と一人娘の奈緒子がぎくしゃくした関係で過ごした長い過程の、言わば目撃者でもあった。

それだけに、奈緒子がここにきて父親との軋轢にはほぼ終止符を打ったように見受けられて、彼は我がことのように喜んでいた。


***


「早くー、おじいちゃん!タクシーきたよ~」

「おー、今行くよー」

和田との電話を切った後”外出の用意”をしていると、階段の下からはかわいい孫が呼んでいた。
今夜は皆で外食にしようということになっていて、焼き肉レストランへ出かけるところだった。

さすがにビールぐらいは飲みたい丸島は、タクシーで出かけようと提案していたのだ。
いつもは節約家のアカリも、今回はスンナリ首を縦に振って、4人は呼んだタクシーに乗り込んだ。

車内では、おしゃまなリカのひとり舞台で、割と若いタクシーの男性運転手はクスクスと笑いっぱなしだった。


***


「そうー、リカは、大きくなったらお母さんやおじいちゃんみたいに学校の先生になるの?すごいわねー」

「うん!リカ、学校の先生にぜったいになるよ」

「でも、なんで先生になりたいんだい、リカは…」

「だって、いーっぱいの子供に勉強を教えて、いーっぱい立派な大人をつくっちゃんだもん」

3人の大人は皆笑っていたが、大口を開けて笑っていたのはアカリだけだった。
丸島と奈緒子は完全に苦笑で、顔は引きつり気味だった。


***


「ねえ、おじいちゃん、お肉取りに行こうよ!」

かわいい孫にせがまれ、席を立とうとした丸島を引きとめるかのように、隣にかけていたアカリがこう言った。

「今度はおばあちゃんと行こうよ。おじいちゃんにはもう少し、ビール飲ませてやってね」

「わかった。じゃあ、おばあちゃんとお肉取りに入ってきまーす」

アカリは奈緒子に向かって、目で”じゃあ”と語って、リカの手を引いた席を離れた。

二人になった丸島と奈緒子は正面に向かい合って、しばし無言だった…。

***


先に口を開いたのは奈緒子の方だった。

「お父さん…。私さ、背伸びしてるよ、やっぱり。それじゃなきゃ、普通の人間の私なんかじゃ教師は続かない」

「奈緒子…」

丸島は奈緒子の顔を数秒間見つめた後、手元のジョッキを握って、ビールを二口ほど流しこんだ。
そして再度、娘の顔に目線を戻し、目を細めてこう言った。

「今の喉を流れたビールの味は一生忘れないだろうよ。今の奈緒子の言葉も…」

「お父さん…。定年の後は背伸び忘れて、ゆっくりしてね」

「ああ…」

奈緒子の言葉に、丸島は確かに心が和んだ。
救われたと言ってもよかった。
しかし、彼にはわかっていたのだ。

もし、鬼島則人に自己都合の封印を剥がされることがなかったら、己の信念を娘の心に届けることができなかったであろうことを…。
そんな父のやるせない胸中をどこまで察していたのかは定かでは二が、奈緒子もどこか複雑な表情を浮かべていた。

そんな二人の元に、アカリとリカとが肉を乗せた皿を手に戻ってきた…。