「お待たせして申し訳ありません」
「オリビア、貴女が謝る必要なんて一つもありませんよ」
「ありがとうございます」

 手を差し伸べられ、セドリック様にエスコートされながらソファへと向かった。テーブルを挟んで座っていたのは、エレジア国の使節団として赴いたクリストファ殿下、聖女エレノア、他にも神殿の神官たちが数名いた。その全員が唖然とした顔でこちらを見ている。

「クリストファ殿下、聖女エレノア様もお久しぶりでございます」
「え、ええ……」
「あ、ああ……!」

 エレノア様は聖女としての笑みが崩れており目にはクマ、顔色も悪く毛並みも以前よりも悪い。三カ月前の自分の姿と少しだけ重なった。

(もしかして私が抜けた穴をエレノア様が?)
「オリビア、見違えるほど美しくなって! 今日会うことができて何よりも嬉しく思う」

 馴れ馴れしく話しかけてきたクリストファ殿下に、セドリック様の眉根が僅かに吊り上がった。本来ならセドリック様の妻として使節団たちの挨拶をすべきなのだろうが、彼は「妻は足の怪我が治っていなくてね。座らせてもらっていいだろうか」と切り出してサッサと私をソファに座らせてしまった。慇懃無礼な態度かもしれないが、圧倒的な国力及び財力をもつグラシェ国からすれば人間の国程度でそこまで(へりくだ)る必要はないのだろう。

「……さて、議題はなんだったかな」
(いつもの柔らかい声とは違って、よく通る声に淡々とした物言い。……新鮮な気がする)

 セドリック様の新しい一面ばかりに目がいってしまい、クリストファ殿下のことなどまったく視界に入っていなかった。
 本当はお会いしたらつらい気持ちや、一時期は婚約者として淡い気持ちが芽生えていたことが蘇るかと思ったけれど、まったくなかった。つらくて、苦しくて、悲しい記憶は全部セドリック様との時間が癒してくれたから。

「で、ですから、我が国ではオリビアの力が──」
「その名を軽々しく呼ばないでいただきたい。すでに貴公らとの契約も消えた。今回の使節団も兄王の側室が勝手に了承しただけで私は関与していない。国として信頼関係もない今、こうやって来客として遇していることが異例なのだが」
「失礼……しました。しかし、我が国ではどうしても王妃様の力が必要なのです」
「そうです。彼女は三年、我が国のために貢献してくださった慈愛ある方。どうかもう一度我が国のためにご尽力いただけないでしょうか」

 都合の良い言葉を並び立てて、また私を国のために利用したいと言っているクリストファ殿下とエレノア様に心底驚いた。あまりにも面の皮が厚い。
 あれだけの仕打ちをして、また私が尽力するとでも思っているのだろうか。沸々と湧き上がる怒りを呑み込んで私はセドリック様を見つめた。

「セドリック様、発言をしてもよろしいでしょうか」
「ええ。オリビアへの依頼──いえ物乞いのようなので、返答して差し上げてください。もちろん、我が国の心配などせずに、たかが人間の国と国交を結ばなくても政治的、経済的にも問題ないので」
「なっ」
「その言い方はあまりにも失礼では?」
「そうよ! シナリオ展開をめちゃくちゃにしたあげく、貴女だけ幸せになるなんて許されない。貴女は我が国に対して誠意ある対応が必要なの」

 噛みつくような声で神殿の神官やエレノア様は反論してきた。
 ふう、と吐息を漏らし、相手を真っ直ぐに見つめながら自分の気持ちを口にする。

「それが人にものを頼む態度でしょうか。……私はグラシェ国の王妃として今後セドリック様を支えたいと考えております。そのためすべきことが山のようにあり、貴国の支援をする気もありません。どうぞお引き取りを」
「そんな……。我が国を見捨てるつもりか?」

 情に訴えるクリストファ殿下に私は「はい」と端的に答えた。
 三年、その間に私の心を壊し、自尊心と矜持を踏みにじり、自由と時間を奪い続け搾取し続けた元凶を前に、私は勇気を振り絞って言葉を返す。

 ずっと怯えていた。
 グラシェ国では温かい居場所を用意してくれて、優しかった。でも信じられなくて、疑って、怖がって──そんな私を全部セドリック様は受け入れて包み込んでくれたのだ。その思いに私も応えたい。

「私を奴隷のように扱う国に、温情をかける気持ちなど欠片もございません。三年あなた方の国が私を保護したと仰っていますが、その分の恩は錬金術及び付与魔法の依頼で補ってきました。これ以上、何かを要求するのであれば国として王妃に依頼をする──ということになりますが、その分の報酬を貴国では用意できるのでしょうか」

 手が、唇が震えていたけれど、セドリック様が手を重ねて手を握ってくれた。彼に視線を向けると「よく言った」と微笑んでいる。