「他には、ないのかしら?」
「ありません」
「その程度のことではつり合いが取れないわ。ほら、何でもいいから。言ってごらんなさい」

 イラーナ様は魔導士の本心を探ろうとしているのか、さらなる褒美を尋ねられました。人族ならば自分の利益を望む者が多い。身の丈も弁えない傲岸で愚かな卑怯で、臆病者。わたくしの知る人族もおおよそはそのような人種でした。
 しかし──。

「──それなら……フラン……いえご子息のセドリック様に再会したら、抱きしめて差し上げていただけないでしょうか。まだ幼く甘えたい盛りですし、家族との時間を作ってあげてほしいのです」

 唖然とした。この期に及んで彼女は自分ではなく、他人のことを慮ったのです。
 愚かで、あまりにも愚かなのに、彼女の言葉の端々から溢れ出る情の深さが感じられました。人族と異なり、エルフや竜魔人族は戦闘力に特化した分、基本的に感情の揺らぎが乏しい。伴侶や親しい者に対しては多少異なるが、それでも人族から見れば冷淡という印象を持つのでしょう。イラーナ様の表情はあまり動いていませんが、内心動揺しているようです。
 いえ耳を疑っている、の方が正しいのかもしれません。

「セドリックが甘える? ……日頃、そなたに、どのように甘えているの?」
「え。あ、毎日抱っこや傍に居たいのかどこに居ても後ろをついて来て、寝る時は一緒じゃないとぐずったりします。あと、食事は食べさせてほしいとか……。最近は人の姿にもなれまして──」
「人型!?」
「!」
「なっ」

 恥ずかしそうに語る魔導士でしたが、今の発言でイラーナ様と前王様、そしてディートハルト陛下は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。同時に眼前に居た彼女は、ただの人族の魔導士ではなく──新たにセドリック様が選んだ伴侶という認識に上書きされました。そこからはイラーナ様の対応も含めて軟化していきました。というか既に「未来の娘」という眼差しです。イラーナ様、柔軟過ぎません?

「まあまあ、それで! 私たちに堂々と意見をいうのですから、セドリックが選んだだけのことはあります。ねえ、アナタ」
「ああ……。しかも、こんなに早く番を見つけるとは。一族の中でも最速なのではないか?」
「ええ、そうね。ふふふ、そう。あの人見知りで警戒心の強い子が」
「え、あの……」
「ねえ、貴方もそう思わない? ディートハルト」

 今まで終始黙っていた現竜魔王陛下は小さく頷き、彼女へと視線を向けました。 ディートハルト様は竜魔人族にしては細身で、イラーナ様と同じ栗色の髪を受け継いだ現竜魔王陛下。柔和な笑みと前王様の威厳を兼ね備えた方は、親しみを込めてオリビア様に声をかけた。

「フィデス王国一の魔導士。貴女の名前は?」
「フィデス王国魔導士を務めるオリビア・ロイ・セイモア・クリフォードと申します」

 彼女は今まで見てきたどの王侯貴族よりも美しい礼法(カーテシー)で、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋はピンと伸ばしたままで一礼する。身なりはかなりマイナスでしたが、彼女の内から溢れ出す気品、佇まい、魂の美しさがわたくしはもちろん、イラーナ様たちも気づいたようです。にしてもおかしな話、入室時に同じように一礼をしていたのに、その時には誰も何も感じていなかったのですから。
 けれど少しの時間でも言葉を交わし、彼女と触れ合うとその良さがじわじわと広がっていくのが分かります。セドリック様がお認めになった生涯の番である以上、その判断はもっともでした。

「オリビア、私たちの国では《白亜の平和》という意味があるわ。素敵なお名前ね」
「あ、ありがとうございます」
「ねえ、オリビア。魔物討伐はディートハルトに任せて、貴女は私たちの国で暮らさない?」
「うむ。セドリックが懐いているのなら妙案だ」
「え」

 オリビア様はたいそう驚かれていました。何せこの数分で彼女の好感度が爆上げされたのですから。そしかも本人は無自覚なようですし、困惑するのも仕方がないでしょう。それにおそらく彼女は自分が求愛されている──というのも気づいていないようです。
 今後のことも含めてご説明と、予定を立てようとしたその時でした。
 ノックも無しに部屋にやってきたのは、白髪交じりの中年の男でした。身なりだけは上質な布に両手には宝石と貴族というより商売人と雰囲気が強く、贅肉まみれで品性の欠片も感じられない──模範的な下等生物の登場でした。

「オリビア! 何をしておる! 貴族院からの催促も来ているのだぞ、さっさと魔物討伐に行って来んか! この役立たずが!」