「アドラ」
「ハッ」

 音もなく影に紛れて執事が姿を見せた。外見こそ自分と変わらないが、その年齢は二回り上だ。ここ百年、自分の傍で支えた側近の一人でもあり、剣の師でもある。

「オリビアへの警護の強化。それと侍女長と専属侍女だが──信用できる者か」
「はい。その点は王太后様と相談しておりますので、三年前のような失態は起こらないかと。特にヘレンは昔、オリビアに保護された経歴もありますので裏切ることは無いかと」
「……ああ、そうだったな。幼いころ、私は直接ヘレンとは会っていないからな」
「今回は三年前と違って治療師、食事、傍付きの責任者はオリビア様と縁のある信頼を置けるものにしました」

 この百年でオリビアの屋敷で保護された者や、関係者が何人もいる。中でも権限があるのは宮廷治癒士のローレンス、侍女のヘレン、料理長のジャクソン。
 三年前も同じ編成にしたが、最高責任者や横の連携などまだまだ甘かった。私とアドラが遠征に出ていたのもある。油断していた。オリビアと関りのあるものに身の回りの世話をするように指示を出していたのが、いつの間にかそのリスト表が書き換えられていたのだから。
 本当に私は詰めが甘い。敵があの悪魔だということを失念していたのだから。

「オリビアの誘拐に関わった使用人は全て服毒自殺、侍女数人は失踪。当時は魔物の大量発生でうやむやにしてしまったが、首謀者はある程度絞っている。……オリビアがここに戻った以上、三年前よりも騒がしくなる可能性が高い」
「そのあたりも抜かりなく、王兄姫殿下のお二人の行動は把握しております。……それにしてもつくづく竜魔人族の習性を理解していない愚か者どもです。この際、後宮を解体させるのも良いかもしれません」
「そうだな。私には不要な宮だ。牢獄にでも名称を変えて、二度と表に出られないように閉じ込めた方がいいだろう」

 すでにミア姫殿下は後宮から出て、日中は王族の居住区域でお茶会を毎日楽しんでいると報告が入っている。後宮には男を連れ込めない──という妙なところは律儀に守っているらしい。頭の中お花畑のあの女は常に自分が世界の中心だと信じて疑わない。なにより厄介なのは群がる男たちだ。

 彼女を間近で見てしまえば、目が合えば、声を掛けられれば、簡単に囚われてしまう。竜魔人は、生涯の番に対しての愛の深さゆえ効き目がないのでそこまで被害はなかったのだが、他種族であれば厄災そのものでしかない。すでに既婚者や恋人がいる者たちからの苦情も出ている。中和剤はあるが、依存性が高いため覚醒するのは本人の精神力と個人差があるのだ。

(再びオリビアを消そうとするのなら、いっそ三年前の発生源として殺してしまおうか。……いや、後々のことを考えるとアレが届くまで待つべきか)
「陛下。……ところでエレジア国の処遇はいかがしますか?」

 エレジア国。
 オリビアの報告書を改めて見直して怒りで憤慨しそうだった。これでは百年前のフィデス王国よりも劣悪な環境ではないか。しかも見事な隠蔽の仕方がさらに悪質だった。
 フランの姿は夜が多かったので、昼間の報告はエレジア国から上がって来たものを信用するしかなかった。間者を送ろうともしたが、叔父夫婦役を演じた者たちはグラシェ国(私たち)を警戒して侍女や使用人は人族を雇った。

 契約内容も表面上は守っていたようで衣食住と安全は確保していたが、裏で彼女を使って王族と教会の評価を上げようとしていた。彼女の功績を全て横から搔っ攫っていった人間たちに容赦する必要も義理もない。