「ところでオリビア」
「は……はい」
「私のことは幼名(フラン)ではなく、本名であるセドリックと呼んでください」
「しかし、あの竜魔王様……」
「セドリックと」

 優しい声音に、熱い眼差し。彼のロングコートに隠れていた黒い蜥蜴の尻尾が大きく揺れている。私の太ももぐらいの太さはあるだろうか。尻尾の揺れ方はオコジョだったフランの尻尾の動きに近しいものを感じた。

 幼名。そう彼は告げたが、私に竜魔王との記憶はもちろん、接点すらない。人違いではないだろうか。ぐるぐる考えが巡るものの、答えは出なかった。期待の眼差しに負けて私は恐れ多くも竜魔王の名を口にする。

「セドリック……様は、私を知っているのですか?」
「ええ、フィデス王国が健在だった時に、森で一緒に遊んでくださったでしょう。一緒に暮らしもしていましたが、覚えていませんか?」

 森。一緒に遊び、暮らしていた──。
 ぼんやりと何か思い出しそうな気がしたが、考えが霧散してしまう。「私は生贄として差し出されたのではないですか?」と、尋ねようとしたその時だった。

「セドリック!」

 怒りのこもった声に、その場の空気が凍り付いた。
 城の奥から姿を見せたのは、うら若き妖精族の美女だった。後ろには専属の侍女を連れており、この城において立場が上の存在だというのがすぐに分かった。栗色の美しい髪と瞳、雪花石膏(アラバスタ)の肌、豊満な肉体美に背に蝶の羽を生やした美女は芸術的なまでに美しかった。
 銀の刺繍をふんだんに使ったマーメイドラインの水色のドレスを着こなし、耳飾りやネックレスに至ってエレジア国の王族と同等──それ以上の宝石を付けている。明らかに空気が違う。

(もしかしてセドリック様の正妻?)
()()。そう声を荒げないでください」
(はは……うえ? ということは王太后様!?)

 セドリック様は実の母親に対して鋭い視線を向けているものの、当の本人は睨みなど気にせずに小さな唇を開いた。

「声を荒げるに決まっているでしょう。人間を伴侶に選んだ以上、覚悟は出来ているのですか!」
「もちろんです! 私の番はオリビア以外に考えられません!」
(は、伴侶? 番? え、生贄の間違いじゃ……?)
「そこまで言うのなら、よくこの子を見て見なさい!」

 王太后様の言葉に周囲の視線が私に向けられる。おそらく「こんなみっともない小娘を伴侶(生贄?)にするつもりですか」と言いたいのだろう。

 過去になにがあったのか今の私は何も覚えていない。それでも抱きしめられて優しい声をかけてくれたことで、期待してしまっている自分がいて恥ずかしかった。

「髪はぼさぼさで、肌艶も悪い。栄養失調で骨ばった痩せた体に、目元にはクマがあって寝不足、指先も荒れているわ。足も引きずって明らかに重症よ。いい、人族はすぐに怪我もするし病にかかりやすく寿命も短い。出産一つで命を落としかねない最弱の種族なのよ、歓迎会よりも早急、治療して静養させないと! 婚礼の儀はその後よ! 私の娘になる子を殺す気なのかしら!?」

 王太后様はこれでもかと言わんばかりに叫んだ。その言葉にハッとしたのは竜魔王を含め、騎士や使用人、侍女だった。

 よく見ればみな人族ではない。正直に人間はそこまで貧弱ではないし、出産だって確かに命がけなのは間違いないが、死亡率が多少あるだけで──もっとも他種族に比べられたら頷くしかない。