ムショうの


 べつに。そういうの、わたしはべつに、そんなの、それくらい、って。
 わかっていたし。知らなかったわけじゃないし。

 でも突然かち合った目はすごくたじろいでいて、わたしは言葉ひとつも準備していなくて、口のなかがものすごく苦くて、にがくて、だから。

 気づいたら、下駄箱に向かって走っていた。

 足がフラフラした。生まれたての鹿みたい。そんなに細くない。でも、非力でおぼつかない。

 走って、外へ出る。スニーカーの後ろは踏んだまま。「すごく良いこと」は、席替えで使い切ってしまったみたいだ。

 占いを読み上げる、さわやかなアナウンサーの声を思い出す。朝に似合う声は、昼下がりの今じゃ、すごく、嘘っぽい。

 スカートのひだを整えないまま自転車にまたがって、すごい速さで、校門を抜けた。

 タイヤが段差にのっかって、カゴにあるカバンが跳ねる。

 風を切るなか、流れ出す聞きなれた音。
 カバンの生地を通り抜けて、かすかに、ホール・ニュー・ワールドのメロディが聞こえる。

 メールの着信だから、中途半端なところで途切れる。はじまりだけ。盛り上がりまで届かずに。

 …じゅうたんにのった瞬間、落ちたみたいだ。

 そう思った。

 わたし、思ったんだ。

 真っ赤な顔のアオイに「つきあってくれ」って言われたとき、わたし、じゅうたんに乗ったと思った。それくらい、シアワセだと思った。

 クラスの中心にいるアオイが、わたしに気づいてくれたこと。

 わたしをすごいって、見てくれていたこと。