「屋敷に戻られますか?」

(えっ……)

 初めて護衛の声を聞いた。ゾクッとするくらい魅力的な低い声だ。

(このまま帰りたくない!)
 もう少し、この人と一緒に居たい!
 しかし、いきなり、そんな事を言ってしまうのはどうだろうか?

「いえ、あの……」

 戸惑いの言葉と同時に、神のお告げのような物が目に飛び込んできた。

(あれだ!)
 あれは、この世界ではなんと呼ぶのだろう?

「あの、あれ……」

 目の前を通り過ぎていく、それを指差した。

「馬でございますか?」

 あっ、ここでも馬っていうんだ。

「はい! 馬に乗りましょう」

 ちょっと甘えた声で、誘ってみる。

「かしこまりました」

 クールな笑顔を残し、護衛が先に歩きだした。

(キャーッ、何もかも好みのタイプだ!)

 すぐに、後を追った。隣りを歩けることが、とても誇らしい。
 
 やがて、道の外れに馬小屋のようなものが見えてきた。艶のある茶色い馬が、三頭繋がれている。どれも、よく走りそうな馬だ。

 門番のような中年男と何やらやり取りをすると、護衛は右端に繋がれている馬に近付いていった。私も、ひたすら付いていく。

「どうぞ」

 目当ての馬の横で、護衛が膝を立てて踏み台になっている。

「あっ、すみません」

 そのまま膝をお借りして、馬の背中に飛び付いた。けれども、衣装は足にまとわりつくし、馬は獣のように荒々しく動きまわり、なかなか上手く乗ることができない。

(ちょっと、じっとしててよ!)

 見兼ねた護衛が、立ち上がった。「どうどう!」と声を掛けながら、馬の腹を撫でて宥めている。
 散々暴れていた馬は、急に大人しくなった。何事もなかったかのように澄まして立っている。

(全く、可愛くない馬だ……)

 この馬とは相性が合わないと思いながらもう一度乗り直すと、今度は簡単に乗る事ができた。
 護衛が横から手綱を引っ張っると、馬がゆっくりと歩き始める……。

 馬に乗るのは初めてだが、思っていたほど優雅なものではない。
 この護衛を引き連れているせいか、行き交う女達にはジロジロと睨まれるし、とにかく安定しない。
 あまりにも速度がゆっくり過ぎて、これでは、一周200円の牧場のポニーだ。

「あの、もっと早く走れませんか?」

 私の言葉に、護衛は足を止めた。
 そのまま私を見上げると、何も言わずに私の後ろに飛び乗った。

(嘘……!)

 私を抱き抱えるように、手綱を握り直している。

(ちょっと、待って……)

 触れている背中に電流が走る。

 護衛が「はっ!」と声を掛け、馬の腹を軽く蹴ると、突然、勢いよく走り始めた。

(えっ、えっ、えーっ‼︎)

 想像以上の速さと、護衛の腕の中に居る緊張感でめまいがする。
 思わず顔を伏せて、護衛の腕にしがみついた。

「絶対にお怪我はさせません。目をお開けになって、しかとご覧下さい」

 男らしい! 言葉まで凛々しい! 元の世界に、こんなに責任ある言葉を発する男が居ただろうか?

「はい」

 素直に頷き、目を開けてみた。

(凄い!)
 一気に、世界が広がった。町の向こうにある宮殿まで見渡せる。

 人が行き交う道を通り抜け……、麗しく流れる川沿いを走り……、山道に入っていく……。
 空の青……、木々の緑……、全ての景色が私に向かって飛んでくる。

 野原を風のように駆け巡り……、砂利道を勇ましく上がっていき……、町が一望できる高台まで来ると護衛は馬を止めた。
 夕陽が金色の光の矢を放ち、神々しく目に映っている。
 町のところどころには明かりが灯され始め、どこか懐かしく幻想的な風景が広がっている。

 絵になる……、と思った。
 景色の中に溶け込む、この素敵な護衛と水色の衣装の私と茶色い馬……。まるで映画のワンシーンのようだ。

「良き、思い出となりました……」

 背後で、護衛がしみじみと言った。

(良き思い出? っていうことは、もしかして、私とこの護衛は両想い⁉︎)

「私もです……。いい思い出が出来ました!」

 訳の分からない世界で、私は完全に恋に堕ちていた。