セメントの海を渡る女

その9
麻衣


彼女は小さく深呼吸したあと、再び話し始めた

「確かに私は、倉橋親分を想い慕っているわ。そんな私に、今の時点であなたにこんなこと言われたらよ、普通だったら火がついちゃうって。その気持ちにさ…。弱い人間なら、いっそ、麻衣さんがいなくなってくれればって、心の奥では悪魔のささやきってことになるわ。そうでしょ?」

「そうですね。全く」

「ならば、心の深いところでは、もはや三角関係だよ。きっかけひとつで、泥沼になるわ。普通の人間はそういうことを避けるために、自分に素直な気持ちでもセーブして、口外しないのよ。あなたが”それ”をしようとしないのは、確信犯ってことなの?」

割とストレートに聞いてくれるじゃん、この人


...



「そうなるかな…」

私は少し間をおいて、後ろの”石”の中に”いる”相馬さんに顔を向けた

「この相馬さんは生前、私にこう言いました。”俺は常に自分を挑発しながら生きてきた”と…。私も無意識ながら、小さい頃から、そんな感じで自分を持って行ってたんですよ。最近はそれを、はっきりと意識しています。だから今、あなたに話したことは、正確には、私が私自身を挑発してるんです。ちなみに、その結果どういう事態に陥ろうと、そこでもまた自分を挑発していくんです。私は…」

狂ってる、イカレてる、異常だ…

まあ、だいたいの人はここで私のこと、そう捉えるのよ

さあ、ミカさん、あなたはどうなの?


...



「今日で、あなたのことが一気によく理解できたわ。亡くなった相馬会長の、伝説になってるイカレ度を真に承継してるのは、あなたね。なるほどよ。これでみんなの言ってることが、やっと納得できたわ」

「ミカさん、みんなは表面でそう見てるだけです。でも、あなたは違うわ。私を理解してくれた。そう多くはいないんですよ、そういう”眼”を持ち合わせてる人間っていうのは」

「…ひとつだけ、私も正直な気持ちを言っておくわ。倉橋さんにはあなたほどまでは、相馬会長の神髄を汲取って欲しくない。はっきり言って、あの人にはこれ以上、あなたに染められないでもらいたい。おそらくこの願いは、このあと、どんどん強くなっていくと思うわ。そうなるとよ…」

ミカさんはちょっとためらいの表情を漏らしたが、すぐに続けた


...



「…あなたと私は、ガラスの関係なる。このことは承知しておいてください。言うまでもなく、今の”仕事”に影響が出ることは100%ないのでご安心を…」

そう言って、彼女は私に素早くお辞儀をして墓前を背にすると、足早で去って行った

「ミカさん、あなたがますます好きになったわ。私もなるべくなら無事でいたい気持ちなんで。ひとつ、よろしくお願いします」

私は、墓地の階段を下るミカさんの背中にそう言って、頭を下げたわ

彼女、一瞬足を止めたが、すぐに石の階段を降りて行き、間もなく私の視界から消えた

今日の彼女…、とうとう一度も笑わなかったわね