「ん?」
「…一度だけ…抱きしめてもらえませんか…?」
「………」
明石は黙って菫の()を見つめた。
菫の心臓は速いリズムを刻む。
「川井さん」
「はい…」
「ごめんね、そのお願いは聞いてあげられない。」
明石が真剣な表情(かお)で言った。
「……いいよって言われたら…少しは嫌いになれたんですけど。やっぱり明石さんは、素敵です。」
菫はにこっと笑って言った。
「私、明石さんも好きですけど、香魚(あゆ)さんも大好きなんです。」
「それも知ってる。」
明石は優しく笑った。
「だから…香魚さんを裏切るような人だったら嫌いになれたんですけど、だめでした。」
「…香魚子に誤解されるようなことをしたくないってのもあるけど…川井さんがそれを言う相手は俺じゃないでしょ?」
「………」
「今、自分が大切に想ってる相手に言わないと。」
「…………はい」
「あ、ちなみに、業務に支障が出たら契約解除だからね。」
明石は眉を下げて笑った。
「…はい。」
菫も眉を下げて、照れ臭そうに笑った。

菫は会社を出ると、足早に駅に向かった。
“早く蓮司に会いたい”そんな気持ちで全身が埋め尽くされていた。