透明を編む 【完結】



「おはよう」

「(⋯⋯)」

「同じクラスだね。一年間、よろしく」


たったこれだけの言葉を発するのにもとても勇気が必要だった。
普段は発音の心配なんて滅多にしないけど、ちゃんと発音出来ていたかな、とか。出欠確認中だから声のボリュームは抑えたつもりだけどちゃんとボリュームの調整は出来ていたかな、とか。

一瞬でそんな事をいっぱいグルグルと考えて、机の下では緊張を抑える様に強く手を握りしめていた。

と、その瞬間、千冬の唇がゆっくりと動いて。


「(⋯六花、)」


久しぶりに、呼ばれた名前。

その声は聞こえなくても、唇の動きで分かる。

名前を紡がれただけでわたしの心臓は面白いくらいにドクンっと大きく跳ねて、その言葉の続きを待ったけれど、気まずそうに目を逸らした千冬がその続きを口にする事はなく⋯、再び彼は気怠げに机に伏せてしまった。


⋯何を、言おうとしてたんだろう。

言葉を交わすのも久しぶりで、名前を呼ばれる事なんてもっと久しぶりで。だからこそ、千冬が何を言おうとしたのかが気になった。

もしかして「おはよう」と返そうとしてくれたのかな?それとも「よろしく」って言おうとしたのかな。⋯⋯そうやって都合のいい妄想ばかりが膨らむけど、良いことばかりが詰まった風船を針で刺すみたいに千冬の冷たい瞳を思い出して今度は心臓が不快なリズムを刻む。

あの後に続くはずだった言葉がわたしを拒絶するものだったとしたら⋯、そもそもその可能性の方が高いのだから、聞かなくて良かったのかもしれないと思った。