透明を編む 【完結】

その日からポッカリと心に穴が空いた様に毎日が色褪せて見えた。


いくら千冬に冷たい態度を取られようと、昔みたいに戻りたいだなんて思っていた自分は今にして思えば恥ずかしい程能天気で。


聴覚障害を持った自分を受け入れて欲しいと思っていたけれどそれは大きな間違いだったのだと気付いた。

海人先生が前に言っていた。

千冬は難聴者のわたしを受け入れられないのではなく、わたしが千冬の傍にいることを受け入れたくないのだと。

あの時はちゃんとその意味を理解していなかったけれど今ならよくわかる。嫌なほどに。


「⋯⋯はあ」

「(六花ちゃん最近元気ないけど何かあったの?)」


授業を終えた後、大きなため息を零したわたしに眉を下げる海人先生は「(悩み事なら話してごらん)」と優しげな目を柔らかく細める。

その目尻には小さな皺が刻まれていて、つい何でも話してしまいそうになる。

例えるなら神父のよう。

わたしをいつも優しく包み込み導いてくれる、そんな存在だ。


海人先生のそういう朗らかな海のような雰囲気がこれまでどれだけわたしを救ってくれたか。わたしが学校に通ったり手話を使ったり出来ているのは海人先生の存在がとても大きい。


「うまく、話せないかもしれないんですけど聞いてくれますか?」


だからつい、甘えてしまう。

お父さんやお母さんに話せない気持ちを海人先生になら話せてしまう。
それは大前提として海人先生を信頼しているのもあるし、神父さんのようでもあるからで。

だけどそれと同じくらい大きな理由は、わたし達はある程度赤の他人であるという事だ。

もちろん海人先生の事は人として大好きだ。
尊敬もしているし、大切な人の一人だ。

だけど先生と生徒。

それ以上でもなければ以下でもない。

前に海人先生がわたしに優しくしてくれるのはわたしが先生の生徒だからだと言ってくれたことがある。

だけどわたしと先生はわたしの聴覚に障害があるから出会っただけで。
先生はハンデを背負った人のサポートをして助けたいという思いを持っていて、その中でわたしに出会った。

その出会いはその出会いで尊いものだし、海人先生との出会いはこの先も大切にしていきたいと思っている。

だけど両親や千冬、優愛は違う。

わたしの中から音が消えてしまう前に出会った人達で、音が消えてしまった後に出会った海人先生とは決定的に違う。


違う絆、と言ったら大袈裟かもしれないけれど、音が消えた後に出会った海人先生にだから話せることがある。甘えてしまう。


「(うん。話してごらん)」


聞こえないけどきっと海人先生の声は温かくて優しい音をしているのだろうと、柔らかく微笑んだその顔を見て思った。