透明を編む 【完結】

「わたし千冬の字好きだな」


ある日、いつもの様に六花と筆談をしている時に俺の書いた文字を見ながら呟いた六花。


「線がしなやかで、綺麗」

「線がしなやかって⋯」

「⋯⋯ごめん、もう一回言って?」


たまたまスマホではなくノートに書いた文字。
字がしなやかで好き、なんて少し小っ恥ずかしい気もするけれど嫌ではなくて。


<六花の字はいつも右上がりになるよな>


そうノートに書けば目の前の六花は一瞬眉を寄せた後、<そんな事ないよ>とやはり右上がりな文字でそう書き返す。


「そういえば学校、どう?」

<もうすぐテスト>

「そっかぁ。千冬なら楽勝だね」

<まあな>

「うわぁ、自信満々だ」


クスクスと笑う六花が学校の事を話すのは珍しい。

六花の両親に聞いた話だと一度見舞いに来てくれたクラスメイトとあまり上手くコミュニュケーションが取れず、中には六花への心配よりも聴力が弱くなってしまった六花に興味がある奴らがいて六花自身もその事がキッカケで学校の人とは俺と親友である優愛を除いてはあまり会いたくないらしい。

他のクラスメイトも頻繁に見舞いに来る事はなく、クラスの中でも元々目立つ方の生徒ではなかった六花の話題は段々と減っていき、クラスメイトと六花の距離は確実に離れていっていた。


それでも事故から二ヶ月が経とうとしている今、最初の頃に比べて六花は自然に笑う様になった。

時折目が腫れている日もあるけれど、それでも段々と六花自身が前を向き始めた事は周りから見ても一目瞭然で。


「ん?何それ」


何か胸の前で折り曲げた両腕を上下に動かしている六花に首を傾げれば無邪気な瞳が俺を捉えた。


「楽しい」

「楽しい?」

「千冬と話すの、楽しい」


俺を指さした後、手をパクパクと動かし、先程の上下の動きをして見せた六花。

どうやらそれは手話らしい。


「最近、覚えた手話。“たのしい”」

「へぇ、楽しい、か」


俺の声は六花には聞こえない。

だけど最近手話だけでなく読唇術というものも習得し始めた六花とは一ヶ月前よりもずっとコミュニュケーションをスムーズに取る事が出来ている。

それがとても、嬉しかった。


六花が少しずつでも笑える様になって、会話をする事が出来て。

とても、とても嬉しかったんだ─────。


「六花」

「⋯⋯なぁに、千冬」


唇の動きで名前を呼ばれた事を理解した六花の瞳が一瞬悲しげに曇った事を見ないフリして。


「俺も六花と話すの楽しい」

「⋯⋯」

「六花と一緒にいられるだけで、それでいいって思う」

「⋯⋯長い言葉はまだ分かんないよ。もう一回言って?」

「俺も、楽しいって言ったんだよ」


さっき六花が折り曲げた腕を上下に動かしていた動作を真似すれば嬉しそうに笑ったその笑顔だけを見た事にした。


そうやって俺が現実から目を逸らしてばかりいるから罰が下ったんだと思う。

いや、それは罰なんかじゃなくて、単純にそれが現実ってやつだったのかもしれない。