透明を編む 【完結】

六花が目覚めた時、六花の世界から音が消えた事を聞かされたのはそれから五日後のことだった。



「⋯⋯六花」


病室のドアを上げてベッドに横たわる六花に声を掛けても彼女は何の反応も示さない。


「六花、⋯⋯六花」


何回もその名前を呼んでも六花の瞳が俺に向けられる事はなくて。
事前に六花の聴力がほとんどなくなってしまった事を聞いていたにも関わらず、俺は何の反応もしない六花に焦り、戸惑い、頭の中が真っ白になった。


「⋯⋯六花、おはよう」


それでも六花の視界に入る場所まで歩を進めれば六花の視線が俺へと移動する。その事にこの上なく安堵して、久しぶりに見る眠っていない六花に泣きそうになった。

だけどそれは今までの六花の様で違う。

俺の知っている六花の様で、俺の知らない六花だった。


「ちふ、ゆ」

「ん?」

「千冬は、怪我、ない?」

「⋯⋯っ」

「ありがとうね、お見舞い来てくれ、て」

「⋯⋯六花、」

「ごめんね。こんなになっちゃって。ビックリした、でしょ⋯?」


最初に言う事がそれかよって、内心優しさを通り越したお人好し具合に呆れそうになって、悲しそうに笑う六花に胸が締め付けられる。


「わたし、耳、聞こえなくなっちゃって⋯、」

「⋯⋯」

「身体はリハビリすれば大丈夫らしいんだけどね、脳っていうか⋯、事故で聴力を失うことってあるんだって」

「⋯⋯っ」

「もう、治らない可能性が高いって。⋯⋯千冬、」

「⋯⋯っ」

「千冬っ⋯、」


潤んだ瞳が瞼に隠れた瞬間零れ落ちた雫はこの世の何よりも透明だった。

ひとつ、ふたつ、と頬を伝っていくその涙は世界で一番美しく哀しいものの様に思えた。


その涙を拭う事も止めてやる事も出来ない無力な俺の名前を紡ぐ六花に何か言葉を掛けてやりたくても俺には今その言葉を見つける事すら出来なくて、ならせめて名前を呼んでやろうって思うのに、その声すら届かないのだと思い出して。


「六花っ」


────それでも、届かないとしても、俺は六花と名前を呼びその身体を抱き寄せた。

抱き締めたとは到底言えないその腕の中で声を押し殺して泣く六花。



音のない世界はどんなものなのだろう。

どれ程恐ろしく、不安なんだろう。

寂しいものなんだろう。


今、六花は何を思っているんだろう。

俺には何が出来るのだろう。


六花の為に俺はどうしたらいいのだろう?


今だって分からないのにたかが14歳の餓鬼にその答えが分かるはずもなかった。