そしてグランプリシリーズが開幕し、私たちが参加するアメリカ大会も刻一刻と迫っていたある日。

雑誌のインタビューでクラブに記者の方が来ていた。

フィギュアスケートの取材を長い間してくれている佐藤記者だ。

佐藤さんのことは、小さい頃から知っているから近所のおじさんのような存在だ。

カメラを首に掛けながら、舞斗の練習風景を撮影していた佐藤さんに私は、話しかけた。

「佐藤さん。お久しぶりです。」

「ゆりちゃん!久しぶりだね。怪我は大丈夫?」

佐藤さんは、微笑みながら私の怪我を心配してくれた。

私は、2年前のオリンピック選考会前の練習でトリプルアクセルを跳んだ際に転倒し、全治2ヶ月の怪我をしてしまった。

それ以来、手術やリハビリなどでしばらく練習にも参加していなかった。

そして私は、長年の夢だったオリンピック出場も逃してしまったのだった。

「怪我の状態は、良くなってきています。今度のグランプリシリーズにも出場するんです。」

そう言うと、佐藤さんは、安心していた。

「今日は、舞斗の取材ですか?」

「そうそう。今回は、舞斗くんがオリンピック2連覇後も競技を続ける原動力についての記事を書こうと思ってさ。」

「そうなんですね。楽しみにしてます。」

競技を続ける原動力か。

確かに彼は、長年の夢であるオリンピック2連覇を果たした。

引退してもいいはずなのに彼は、まだ現役を続けている。

何故なのだろうか。

それは、彼の壮絶な幼少期が関わっているのではないかと私は、彼の側にいながら感じていた。

「佐藤さん。お疲れ様です。」

彼の練習が終わったようだ。

「舞斗くん。インタビュー始めてもいいかな?」

彼は、大きな返事をしながら着替えに向かった。

「お待たせしました。始めますか。」

彼のインタビューが始まった。

私は、コーチの隣に並んで2人の会話を聞くことにした。

はじめに佐藤さんが舞斗がオリンピック2連覇したことについて触れた。

「オリンピック2連覇おめでとう。」

「ありがとうございます。」

十分すぎる程の賞賛だが、彼は、あまり嬉しそうな表情ではなかった。

それに長年共に歩んできた彼が気づかない訳がなかった。

「まだ本当の夢を叶えられてないんだな。」

「分かります?」

「分かるに決まってるだろ。何年取材してると思ってるんだよ?」

佐藤さんのその言葉に彼は、微笑みながら

「そうですよね。」

と答えた。

「本当の夢のためにこれからも現役を続けるの?」

佐藤さんが尋ねると、彼は、意を決したように話し始めた。

「これからは、フィギュアスケートを始めたきっかけとなった人のために僕の演技を見てもらえるように頑張ろうと思って。」

「そうか。だから今シーズンのショートプログラム、Motherなのか。」

彼は、切なそうに噛み締めるように頷き、消えそうな声で呟いた。

「見てくれるといいんですけどね。」

私は、8歳以降の彼のことは、ここにいる誰よりも知っている自信がある。

でもそれ以前のことは、何も知らなかった。

でも8年前の世界ジュニアで男女同時優勝を遂げたあの日、彼は、泣いていた。

初めは、嬉し涙かと思っていたが、悲し涙であることに気づいた。

私は、慌てて彼のもとに駆け寄った。

「舞斗、どうしたの?」

「お母さんが…」

今まで見たことがない彼の姿だった。

いつも沈着冷静な彼が頭を地面につけながら声が聞こえるほど号泣していた。

号泣している彼の背中をさすりながら、彼の話を静かに聞いた。

「お母さんと約束したんだ。世界ジュニアに優勝したら、迎えに来るって。なのにお母さんは、迎えに来なかった。」

彼は、8歳の時に故郷である岡山を離れ、東京にある私たちのクラブに移籍してきた。

だが家族と共にではなく、家族を岡山に置いて、1人で上京してきたのである。

なぜ彼が1人で上京しなくてはならなかったか。

それは、経済的理由によることだったらしい。

岡山で生まれ育った彼は、幼い頃、お父さんとお母さんに連れられ、アイスリンクに遊びに行っていたそうだ。

彼が3歳の時。

彼は、いつものようにジャンプの練習をしていた。

すると、このアイスリンクでフィギュアスケートを教えている人が話しかけてきたのである。

「今跳んだのは、シングルアクセルですか?」

彼は、3歳でシングルアクセルを跳んでいたそうだ。

通常、教室に習い始めて1ヶ月程度でスリージャンプといって半回転できるようになる。

だが彼は3歳の時点で、1回転の中で最も難易度が高いシングルアクセルを5歳で跳んだのだ。

そんな彼を放っておくはずもなく、先生が彼をスカウトし、教室に通うことになったらしい。

だがそんな日々も長くは、続かなかった。

彼が5歳の時、両親が離婚することになり、経済的にフィギュアスケートを続けることが難しくなりつつあったそうだ。

「舞斗くんを選手強化コースに入会されたいと考えています。」

そんな苦しい状況とは、裏腹に彼は、多くのジャンプを跳べるようになるなどクラブ内で頭角を表していた。

「すみません。私、シングルマザーになったので、これ以上レッスンを増やすことは、できそうにないです。」

一度は、選手強化コースに入ることを断った彼のお母さんだったが、先生の言葉に突き動かされることとなる。

「お母さん。舞斗くんは、1000年に1度の逸材です。5歳でトリプルジャンプを跳べる人なんて他にいません。この時期が育成には大事な時期なんです。」

いつも感情をあらわにしない先生の嘘のないこの言葉が彼のお母さんを苦しめることとなる。

彼は、天才なのだ。

彼は、フィギュアスケートを続けなければならない逸材なのだ。

そう感じた彼のお母さんは、朝から夜中までより一層仕事に励むようになったそうだ。

彼にフィギュアスケートを続けさせるために。

だがそんな日々も長くは、続かなかった。

彼が8歳の時、彼のお母さんは、あまりの疲労に仕事場で倒れたらしい。

そしてその時にお母さんは、医師からしばらく安静にするよう言われたらしい。

でも彼は、将来フィギュアスケートのトップ選手になると信じていた彼のお母さんは、

苦渋の決断をした。

そのことを彼は、病室で告げられたそうだ。

「舞斗、お母さんしばらく仕事できないみたいなの。だから舞斗は、そこにいる人と一緒に東京に行ってフィギュアスケートを続けるのよ。」

突然告げられた彼は、お母さんの手を握り泣きじゃくった。

「嫌だ。僕お母さんと一緒にいたい。」

「大丈夫。お母さんも元気になったら舞斗のこと迎えに行くから。世界ジュニアで優勝したら、一緒に祝おうね。それまで待ってて。」

彼のお母さんは、最後に彼と約束したそうだ。

だが彼女は、会場に現れなかった。

それだけではない。

岡山の実家にももう住んでいないことが分かった。

彼女は、彼の前から姿を消した。

そのことを知った彼は、ひどく落ち込んだ様子だった。

「誰も僕のことなんか必要としてないんだ。お父さんもお母さんも僕の前から姿を消すんだ。」

そう泣きじゃくる彼の背中をさすりながら、

「私は、何があっても舞斗の側にいるから。それだけは覚えておいて。」

そう言うと、安心したような笑顔を浮かべていた。

この想いがいつか彼に届けばいいな。

彼と初めて会ってから15年という月日が経っていた。