標的を自分に変えさせることに成功した蓮は、ヨルの放つ水弾を避けるように駆け抜けた。

 まるで血に飢えた獣のような目をしたヨルを認め、精一杯叫んだ。

「おい、目覚ませよ瑚太郎! いいのかよ、こんなサイコ野郎に乗っ取られたままで!」

 しかし、それが瑚太郎に届くことはなかった。ヨルの怒りを増幅させるだけだ。

「……ざけんじゃねぇよ」

 低く呟いたヨルは、怒鳴る気力も削がれるほど憤っていた。

 偽物の自分が築き上げた人間関係など知ったことではない。

 何故、あいつの方が優先されるのか分からない。
 何故、自分が邪険に扱われるのか分からない。

 ただでさえ不自由なのに、自分の存在は誰にも受け入れて貰えない。

 ヨルの苦しみと怒りが込められた巨大な水柱がうねり、蓮と奏汰を飲み込まんと迫っていた。

 蓮の魔法では当然ながら太刀打ち出来ない。

 奏汰は衰弱しており、魔法を繰り出せるほどの気力や体力が残っていない。

 今からでは、抱えて逃げようにも間に合わない。蓮は咄嗟に奏汰の前に滑り込んだ。

 彼を庇いつつ、最悪を覚悟して目を瞑る────。



「悪い子は寝る時間だよ」

 突如としてそんな声が聞こえた。

 空間にいきなり現れた至が、隙を突くように駆け寄りヨルの額に触れる。

「な……」

 戸惑ったヨルだったが、がくんとすぐに脱力した。目を閉じてその場にどさりと倒れる。

 勢いよく迫ってきていた水柱は、巨大化したアリスが払い落とした。彼女はすぐさま通常サイズへ戻る。

「至! ……に、アリス!?」

 蓮は驚いたように二人の姿をまじまじと見た。思わぬ顔ぶれだ。

「お前、無事だったのか」

「ま、まぁなー」

 アリスは苦笑しつつ誤魔化す。下手なことは言えない。蓮たちを裏切るような形で離れたことがバレてしまう。

 蓮はヨルを見やった。至のお陰でしっかりと眠りに落ちている。
 これなら襲ってくることもないだろう。

「危なかった。……ありがとな、また助けられた」

 至は「ふわぁ」とあくびをすると、蓮と奏汰の様子をそれぞれ窺った。

「安心するのはまだ早いんじゃない?」

「出血がひどい……。すぐに日菜ちゃんに来て貰わなきゃ」

 至に続くような形で声がした。蓮は息をのみ、影を見つめる。

 至に同行している“影の魔術師”は、やはり小春だ────。

「小春……! やっぱり聞き間違いじゃなかった。その声、小春だよな?」

 感激したように喜びを顕にする蓮。この瞬間をずっと焦がれ、ずっと信じ、待っていた。

 気のせいなどではなく、彼女は正真正銘小春だ。聞き慣れた声がそれを物語っている。

 一方、影は戸惑ったように半歩後ずさった。
 それを見た至は宥めるように言う。

「まぁまぁ……、話は後ね。このままじゃ死んじゃうよ」

 その一言に蓮は奏汰を見やる。ぐったりと座り込んだまま動かない。

 青白い顔色が、傷から流れる血をより鮮やかにしていた。

「本当だ、まずい」

「……君もね」

 蓮も背中からの出血がひどいものだった。今は自分のことに構っていられず、痛みを忘れているのだろう。



 至が日菜と連絡を取り、ここへ来て貰う手筈となった。

 昼休みであったお陰ですぐに駆けつけた日菜が、奏汰と蓮を回復魔法により治療する。

 みるみる傷が癒え、元通りになった二人の代わりに、今度は日菜の顔色が悪くなった。

「大丈夫なんか?」

「大丈夫です、すぐに回復しますから」

 日菜はわずかに浅い呼吸を繰り返しつつ笑って見せた。
 反動(これ)ばかりは、ただ堪える他にない。