「ま、ともかくいまは大雅との取り引きが先決だね」
冬真は星ヶ丘高校へ向かって歩き出した。
傀儡の陽斗もそのあとに続くが、実にぎこちない動きだ。
傷口から血が滴って地面に染みを作っていく。
気味の悪いその光景にうららは怯んでしまう。
律は眠たげに目を擦ってあくびした。
◇
すっかり日が落ちて夜の帳が下りた頃、大雅は星ヶ丘高校の校舎内を歩いていた。
「…………」
冬真に従わされるとしても、何とか記憶を保ったままでいられないだろうか。
記憶を消されないように。書き換えられないように。
最悪そうなったとしても、すぐに思い出せるように。
何か方法はないだろうか。
思索に耽りつつ、はたと足を止める。
(……そうだ)
おもむろに男子トイレに入ると、掃除用具入れを開けた。
立てかけてあったモップを取り出し、持ち手側で思いきり洗面台の鏡を殴る。
パリィン! と甲高い音を響かせて割れた鏡の破片を、一枚拾い上げた。
それをポケットに忍ばせておく。
(これがあれば────)
重たい鉄製の扉を開ける。
屋上のふちに優雅に腰かける冬真と、その傍らにいる律とうららを認めた。
人影は、それだけではなかった。
「陽斗……!?」
生気のない顔の陽斗までもが、満身創痍の状態で侍っていた。
白い月明かりのせいで余計に不気味だ。
大雅は思わず冬真を睨みつける。
「……悪趣味なクズ野郎が」
「やあ、大雅。来てくれて嬉しいよ」
完全に無視する形で、爽やかに微笑んでみせた。
「びっくりした? 何で彼がここにいるのか分かる?」
「……まさか────」
「そう、そのまさか。僕たちの仲間の祈祷師が殺ったんだ」
大雅は眉を寄せた。
想定していた最悪の可能性は、現実のものだった。
やはり彼らの背後には祈祷師がいるようだ。
「……何で祈祷師がおまえらに手を貸すんだよ」
「さあ? きみがこっち側に戻ってくれば分かるかもね」
冬真は駆け引きでもするかのように言い、笑みを深めた。
このはったりを大雅が疑うそぶりはない。有用な手札を切れた。
「桐生さん……」
うららが不安気に呼んだ。
律も彼女も、既に取り引きの全容を聞き及んでいる。
「きみが単身ここへ来たってことは、つまりそういうことだろ?」
「……ああ、ただし約束しろ。もうあいつらに手出すな。じゃなきゃ俺もおまえに協力しない。いま、この場で────」
ポケットから鏡の破片を取り出すと、鋭利な先端を自身の首に向ける。
「死んでやる」
冬真の顔から余裕の微笑が消えた。
ここで死なれては、大雅という駒を失うだけでは済まない。
自殺では異能も奪えない。
「……分かったよ。きみが僕に忠実なら、僕も約束を守る。瀬名琴音も死んだことだしね」
「…………」
「だからそんな物騒なものは捨ててよ」
「いや、これはおまえが裏切らないように持っとく」
淡々と返した大雅は、鏡の破片を再びポケットにおさめる。
冬真は目を細めたものの、それ以上は何も言わなかった。
「……もういいよな? うららを解放しろ」



