「誰……!? 魔術師なの?」

 瑠奈は精一杯の虚勢を張り、そろそろと立ち上がった。

 何だか得体が知れない。飄々(ひょうひょう)として見えるのに、威圧感を感じる。

「ボクが誰か気になる? うーん、万に一つでもキミが勝ったら教えてあげてもいいよー」

 完全に侮った態度で彼は言った。

 瑠奈はベッドの上に置いていたステッキを素早く手に取り、男に向けて持つ。

「……!」

 ────違う。駄目だ。

 もう決めたのだ。誰も殺さない、と。小春が言うように、誰も傷つけない、と。

 はっと思い留まった瑠奈は、ゆっくりとステッキを下ろした。

 しかし手放すことが出来なかったのは、防衛本能がうるさいくらいの危険信号を鳴らしていたからだろう。

「あれ? 戦わないの? じゃ、遠慮なくキミのことぶっ殺させて貰うよ〜」

 小春ちゃん、と頭の中で呼びかける。大雅のようなテレパシーなどは使えないため、当然応答はない。

(……誰も殺さないって決めたけど、こんなときはどうしたらいいの?)

 ぎゅう、とステッキを握り締める。

(自分の身を守る権利も、あたしにはないの?)

 瑠奈が悶々と葛藤しているのを他所に、彼は手に炎を宿した。火炎魔法だろうか。

 瑠奈の見開いた瞳の中で、ゆらゆらと炎が揺れる。

 直感的に自身と家や家族の危険を察知し、自室を飛び出した。転がるように階段を駆け下り、家の外へ出る。

 当てどもなく、瑠奈は走り出した。今は逃げることしか出来ない。

 何があろうと、もう判断を誤りたくない。



「はぁ、はぁ……」

 自宅からかなり離れた住宅街で、瑠奈は足を止めた。心臓が早鐘を打ち、息切れして肺が痛い。

 頭が良くないことは自覚しているが、それでもはっきりと分かる────彼に捕まれば、待っているのは“死”だと。

 呼吸を整えながら振り返る。男の姿は何処にも見当たらない。影も形もない。

 上手く撒けたようだ。必死に逃げた甲斐があった。ほっと安堵の息をつく。

「ありゃりゃ、追いかけっこはもうおしまい?」

 不意に声がした。振り向けば、彼が立っていた。

「……っ!?」

 心臓が止まりかけた。息を飲んで硬直する。

 呼吸が乱れた様子はなく、走って追ってきたわけではなさそうだ。

 何より先ほど確認したときには、確かに誰もいなかった。

 これではまるで、琴音の瞬間移動ではないか。まさか、琴音を殺して奪ったとでも言うのだろうか。

「誰なの……? 何者!?」

 恐怖を押し殺して尋ねると、金切り声のようになった。

 男の薄い唇が、にんまりと弧を描く。

「ボクはね、ある人のお使いで来たの」

「魔術師なの……?」

「んー、ちょっと違う。でも魔法は使えるよ。キミたちをぶっ殺すのもワケない。……って、つい喋っちゃった」

 男は一人、けたけたと笑った。

 何とも掴みどころがない。答えも答えになっていない。

 瑠奈が怪訝そうな顔をすると、彼の笑い声が不意に止んだ。

「で、実際“殺せ”って言われちゃったからね〜。ザンネンだけど、キミはゲームオーバー。ちょっと制裁を食らって貰うよ」