門出のあなたに





卒業式の日。





朝方の、少しひんやりした空気も、陽光が射してくるにつれ、そのなりを潜めていく。





講堂の底冷えする空気は変わらないけれど、それでも在校生と卒業生が全員入れば、おのずと暖かくなっていた。






壇上では、卒業生代表が答辞を述べている。




澱みなく流れるそれを聞きながら、小春はちらちらと卒業生の席のほうを見ていた。







ひょっこり頭ひとつ飛び出ているのは、多分笠寺だろう。




あの長身からしたら、そうなるのかもしれない。……尾上は見つけられなかった。




彼は背がそんなに高くないから、着席して他の生徒に埋もれてしまうと分からない。





歩いていると、あんなに凛とした雰囲気で他の人と間違わないくらいの雰囲気を漂わせるのに。





やがて祝辞が終わり、卒業生が講堂を出る。






在校生は、卒業生が最後に教室へ入っている間に校舎から校門を繋ぐ人垣を作って卒業生を見送る。





小春も、人垣の一員として校門近くに立った。





うららかな太陽の光が降り注ぐ中、小春は制服のポケットに忍ばせたものを、きゅっと握る。緊張で指先が震えているのが分かった。





やがて校舎から卒業生達がぱらぱらと出てきて、その中の長身が早紀のことを見つけた。




隣にいる小春にも視線をくれる。






「岡本、竹内」




「笠寺先輩」






笠寺は片手に卒業証書を持って駆け寄って来ると、べそべそに泣いている早紀の頭をくしゃくしゃにかき混ぜた後、小春に手を差し出した。





「二人とも、部活、頼んだぞ。絶対全国、行ってくれ」






ぎゅっと小春の手を握って、笠寺が言う。





小春は早紀と一緒に、笠寺の気持ちを受け継ぐ。





「先輩、たまには部活見に来てください。在校生も待ってます」





「そうだな、たまには」





笠寺と話している間にも、卒業生がどんどん流れて校門の方へと出て行く。






笠寺と話をしつつも、小春は笠寺の肩越しに目当ての人を探していた。






彼は、卒業証書を脇に抱えて、ポケットに手を突っ込んだまま、歩いてきていた。





校門近くまで来るのももうすぐ、というところで、その周りにわっと人が集まる。





在校生の女子生徒だった。






「先輩。卒業しても遊びに来てください」






「もうお別れなんて、寂しいです」





確か、尾上は部活には所属していなくて、だから、そんな言葉を交わす後輩がいたなんてこと、知らなかった。






尾上は、あー、はいはい、なんて適当な返事をして前を行こうとする。




それでも女子生徒はあきらめなくて、ボタンをくださいだの、握手してくださいだのと言っている。





とても自分が入っていけるような雰囲気ではなくて、小春は泣き止まない早紀を慰める笠寺の横で立っていた。





やがて、女子生徒から解放されて尾上が校門を出て行く。





笠寺も流石にそれに気がついて、追いかけようとした。





親友としてはそうだろう。





でも、小春はちょっとだけ、それを制した。





「笠寺先輩。ちょっとだけ、私に時間をください」





竹内? と問われた言葉に応えることなく、小春はもう駅のほうへと向かっていってしまっている尾上の背を追いかける。






どうしても、渡さなければならないものがあるのだ。






校門を出てしまうと、卒業生達はそれぞれの方向へ散って行く。






その中の尾上の背を追いかけて、小春は名を呼んだ。







「尾上先輩!」






だるそうに歩いていた後姿が、ぴたりと止まる。






まるで予期せぬ声を聞いたかのようだった。







小春が走り寄っても、その後姿はぴくりとも動かない。






ポケットに手を突っ込んだまま、そこに立つことしか出来ないみたいにしている。







「……尾上、先輩……」







漸く小春が追いついて、そして背後に立っても、尾上は振り返ってくれない。





こんな時に、呼びかけて振り返ってくれたのなら、ごく当たり前の動作として記憶から消えてしまうだろうに、この人は、立ち尽くしてしまうことで、また小春の記憶に刻み込まれるのだ。







「先輩……」







振り向いてはくれないだろうと思っていたから、別に視線が来ないことなんて、全然構わない。





尾上には尾上の思い切りがあるだろうし。





でも、小春にだって想いはあるのだ。





「先輩」





振り返らない尾上の、そのポケットに入っていたままになっていた右の手をポケットから引っ張り出す。





驚いた尾上が、思わず小春の方を見た。





「な……っ」





しゃら、と音がしたのは、ちゃんと尾上の手の中からだった。






小春はそれを尾上に握らせて、きちんと言った。






「……受け取ってください。ちゃんと、私の気持ちを篭めました。……受け取って、ください」






尾上の手の中には、キーホルダー。





小春と揃いのリボンの付いたクマのそれだった。






一度は突き返された、それ。





今、どうしても尾上に受け取って欲しかった。






「……忘れること、きっと出来ないし、……先輩にも忘れて欲しくなかったから、……受け取ってください。……まだ、希望が……あるんだったら…」






恥ずかしくて、キーホルダーを握らせた尾上の手のひらしか見れない。






……手のひらが、少し緩んで、そうして、きゅっと握られた。






それと同時に聞こえた、不安そうな声。





「……もらって、いいの? お前、俺のこと、何にも知らないだろ……?」





「それ言ったら、先輩だって、おんなじです」





「……でも、……あんなこと、したし……」





すごく、自信なさ気に言ってくる。




こんな人が、よくあんなことができたなと思った。




それに少しだけ勇気付けられて視線を上げると、尾上はまだ不安そうに手のひらのキーホルダーを見ている。







「……そうじゃない先輩のこと、もういっぱい知ってます。……それじゃ、ダメですか……?」





小春の言葉に、尾上が顔を上げた。




視線の先には、雪が溶けたような頼りない笑顔があって、初めて見るそれもまた、小春の記憶に強く印象付けられた。






「……もう、前言撤回って言っても聞かないけど」






春の陽光が眩しく輝いたみたいに、小春は眼を細めなければならなかった。





……頼りない笑顔から一転、尾上が惹き込むような視線を寄越してきたからだった。





「……そ、そんなこと言うんだったら、渡してません……」




「そんじゃ、大事にもらっとく」




これ、と言って、尾上は手のひらに握らされたキーホルダーに唇を寄せた。





ぎょっとする小春に尾上は笑ってみせて、そうして言った。






「すごい卒業プレゼントもらった」






そう言う尾上の笑顔は、今まで見たことのないようなやさしいそれで、まるで春の日差しそのもののようなその笑顔は、やっぱりすごく印象的なものだった。







これからは、もっといろんな尾上が、小春の記憶に刻み込まれていく。







その先の道を、小春も密かに期待していた。