母親はベッドからスクッと立ち上がって掃除に戻ろうとするが、未だに翔が忘れきれない愛里紗が気がかりだった。
「谷崎くんは遠い所へ引っ越して行ったからもう忘れなさい。谷崎くんもあんたも別々の未来を歩んでいるのよ」
母がそう言った瞬間、愛里紗は『遠い所』というキーワードが耳に残った。
あれ……。
遠い所へ引っ越したって?
大雨の日にお別れしてから音信不通だから、彼が何処で暮らしているかわからないはずなのに…。
愛里紗は、母が翔の消息について何か情報を得ているのではないかと思った。
「ねぇ、お母さんは谷崎くんの居場所について何か知ってるの?」
母親の目線が一瞬右に向けられるが、少し口籠らせながらも言う。
「……そ、それは。お友達のお母さんから噂話として耳にした程度で詳しくは分からないの」
「そっか。お母さんが谷崎くんの居場所を知ってたら私に伝えるはずだもんね。谷崎くんはやっぱり遠い所で暮らしてるんだね……」
愛里紗はただの噂話かと思い、深い溜息をついた。
そうだよね。
お母さんが谷崎くんの居場所を知ってる訳ないか。
谷崎くんと別れた日に立ち会ってたし、ショックで寝込んでいた日々も散々見てきたし。
それに、昔は谷崎くんへの誕生日プレゼントを一緒に見に行ってくれたし、バレンタインのチョコ作りだって手伝ってくれたし。
お母さんは、ずっと私の恋を応援してくれていたもんね。
谷崎くんにはもう会えないのに、たかが親達の噂話に反応しちゃうなんてバカみたい。
でも、『もう過去の恋なんて忘れなさい』なんて傷付いたな。
谷崎くんの事は、私にとっては一生忘れられないほどの大切な思い出なのに。