レオの傷がほとんど癒え、明日には森を発つと言い出すかもしれないと思った、その夜。

 フローラはついに『秘伝の媚薬』を取り出した。

 祖母直伝の媚薬で、作り方も知っている。
 だが、自分で作ろうと思ったことはなく、祖母が作ったものをずっと戸棚の奥にしまっていた。

(嫌われる……かもな)

 媚薬の効果は一夜限りだ。
 明日になれば、彼は正気に戻り、媚薬を盛られたことに腹を立てるに違いない。

(でも、もう二度と会えないのなら)

 どうせ住む世界が違う人だ。

 子種だけもらいたい、思い出が欲しいと思うくらい、良いんじゃないかとも思った。
 ただ、彼ほどに惹かれる人間には、もう二度と会えない自信があった。血を繋ぐ為に、誰かに抱かれるのなら、彼がいい。

 そうしてフローラは媚薬を数滴、彼のスープに垂らしたのだった。

「フローラ、今日のスープは一段と美味いな」
「あ、ありがとう、ございます」

 魔女の血を絶やさぬ為に、媚薬を盛ったのはフローラ自身だ。
 だが、逃げ出したい程の羞恥心に襲われて、まだ何も起きていないのに、フローラは顔を真っ赤に染めていた。

 カチャン!

 その音が始まりだった。
 獰猛で熱を持った金の瞳が真っ直ぐフローラを見つめ、目が離せないでいると、あっという間にレオは立ち上がりフローラの元へやってきた。何か言葉を、媚薬を盛られた文句でも言われるのかと思ったが、噛み付くようにキスをされた。

「んんっ!」

 初めてのキス。心臓は人生で一番音を立てている。そうして唇がジンジンするほど、何度も何度もキスをした。次第に甘くなるキスに、フローラはクラクラしてくる。

 至近距離で見つめ合うだけで、身体中が騒ぎ出してしまいそうだ。甘く細められた金色が、愛されているのではないかと錯覚してしまう。ベッドに丁寧に運ばれた後は、優しい手がフローラの身体中を触り尽くし、唇から溶けてしまいそうなほど甘やかされた。

 恥ずかしさと歓喜と、少しの寂しさを感じながら、フローラはレオのぬくもりを心に刻みつけたのだった。



「ん……」

 わずかに差し込む朝日が、フローラの顔を明るく照らす。窓の外には小鳥が鳴いて朝を知らせている。いつもよりは少し遅く起きてしまった。そろそろレオに朝ごはんを作らなくては……と立ちあがろうとしたところで、腰が抜けた。同時に一糸纏わぬ自分に気付く。

「!!」

 ベッドにはフローラしか眠っていなかった様子で、レオの温度は何も残っていない。レオが使っていた、母のベッドも見に行ってみたが、もちろん誰もいなかった。それどころか、彼の服も剣も何もかも、彼の私物は何もなかった。
 
 媚薬を盛ったことに腹を立てて、何も言わずに出ていったのか。

 あの優しい微笑みを、金の瞳を思い出す。あの目が怒りに満ちて私を殺さなかったことを喜ばなくてはいけないのに。さよならが言えなかったことくらい悲しまなくていいのに。分かっていたのに。
 わずかでも私を想ってくれていたらなんて、そんなこと、なかったのだ。

「はは……」

 太陽の光が届かない程の森の奥、そのまたさらに奥に位置する湖。その湖のほとりに建つ小さな家の中で、魔女のフローラがひとりぼっちで泣いていた。