早く写さなければ。早く返さなければ。これは俺のものじゃなくて、黛のものだから。
何かに急き立てられるように、意志の強そうなシャキシャキとした黛の字を見ながら、自分のノートにシャーペンを走らせ続ける。真っ白だったページに、字の綺麗さは全く違えど、黛の書いたそれと同じような文字列が配置され、丸々写したことが明らかであるほどB罫のそれは俺のノートではなくなっていた。
気づけば手首の痛みも周りの視線も気にならなくなっていた俺は、その授業後の休み時間もそれが終わった次の授業も隙を見ては無我夢中で手を動かしていた。教師によっては復習と称して俺に最初から教えてくれたり、逆に内職をする俺に注意をしたりと様々だったが、そのどれもが耳から耳へと抜けてしまっていた。集中力が書き写す方に注がれていて、中途半端なところで手を止められるとむず痒くて仕方がなかった。
朝に黛と言葉を交わしてからというもの、他に誰とも会話らしい会話をすることなく放課後を迎えた。約一週間分の板書を写す作業は思っていた以上に時間がかかり、中でも最も時間を要したのは、本文と訳を全て書き留めなければならない古典と、他の教科と比べてみても異様に板書の多い生物だった。あとは日本史や世界史、政治経済も、漢字やカタカナの羅列ばかりで目が痛くなり苦戦した。一番楽だと感じたのは数学だった。解き方なんてまるで頭に入っていないが。
今日は授業のなかった教科も、他のノートの最後ら辺のページを利用して写した俺は、家に帰ってそのページを綺麗に破って貼り付けようと、帰宅してからする作業を想像した。一緒に両親のことが頭に浮かんでしまったが、俺の帰る場所はあの家しかない。両親にストレスを与えないように存在を消して、息を潜めて、無事に明日を迎えられればそれで十分及第点だった。
何かに急き立てられるように、意志の強そうなシャキシャキとした黛の字を見ながら、自分のノートにシャーペンを走らせ続ける。真っ白だったページに、字の綺麗さは全く違えど、黛の書いたそれと同じような文字列が配置され、丸々写したことが明らかであるほどB罫のそれは俺のノートではなくなっていた。
気づけば手首の痛みも周りの視線も気にならなくなっていた俺は、その授業後の休み時間もそれが終わった次の授業も隙を見ては無我夢中で手を動かしていた。教師によっては復習と称して俺に最初から教えてくれたり、逆に内職をする俺に注意をしたりと様々だったが、そのどれもが耳から耳へと抜けてしまっていた。集中力が書き写す方に注がれていて、中途半端なところで手を止められるとむず痒くて仕方がなかった。
朝に黛と言葉を交わしてからというもの、他に誰とも会話らしい会話をすることなく放課後を迎えた。約一週間分の板書を写す作業は思っていた以上に時間がかかり、中でも最も時間を要したのは、本文と訳を全て書き留めなければならない古典と、他の教科と比べてみても異様に板書の多い生物だった。あとは日本史や世界史、政治経済も、漢字やカタカナの羅列ばかりで目が痛くなり苦戦した。一番楽だと感じたのは数学だった。解き方なんてまるで頭に入っていないが。
今日は授業のなかった教科も、他のノートの最後ら辺のページを利用して写した俺は、家に帰ってそのページを綺麗に破って貼り付けようと、帰宅してからする作業を想像した。一緒に両親のことが頭に浮かんでしまったが、俺の帰る場所はあの家しかない。両親にストレスを与えないように存在を消して、息を潜めて、無事に明日を迎えられればそれで十分及第点だった。



