自宅の玄関の上がり框に座ったまま、俺は横の壁に凭れて脱力していた。乱れていた制服は、以前、たった一回帰路を共にしただけで道順を完璧に覚えたのか、ここまで一切迷うことなく送迎してくれた黛が、優しすぎるほど優しい手つきで綺麗に整えてくれていて。傷も痣も痕も、全て布の下に隠れていた。でも、流石に包帯までは元通りになるわけもなく、肌に直接触れる衣服の感触が久しぶり過ぎて内心落ち着かず気が動転しそうだったが、そんな気力も湧かないほどに俺は憔悴してしまっていた。また来るからね、と俺の頬を撫でて囁いた黛は、無意識に服を掴んで縋る俺を見ても、可愛いね、瀬那、ともう何度言われたか知れない言葉を並べるだけで、期待には応えてくれないままどこかへ行ってしまった。まゆずみ、まゆずみ、と何をとは言わずに黛を欲しがった俺は狂っていた。嫌いな両親と、俺の味方でいてくれる由良がいる、家なのに。

 黛に絆され淡いピンク色に染まっていた視界は、数秒数分と時を刻むに連れて薄くなり、気づけばその多幸感のフィルターは消えていた。はっきりとした色に移り変わったそこにあるのは、黛がいないという寂寥感。まゆずみ、まゆずみ、まゆずみ。まゆずみが、薄れていく。俺を夢見心地にさせる黛の匂いが、この家のアルファの匂いに掻き消されていくのを嗅覚が敏感に察知し、微かな残り香を全部体内に取り入れようと、俺は彼の匂いだけに集中して呼吸を繰り返した。黛の香りは、いつだって俺を強烈に惹きつける。唯一無二のアルファの香り。黛の香り。まゆずみ、まゆずみ、いつ戻ってくるの。早く戻って来て。戻って、来て。ああ、なにこれ。俺。いつ。元に戻るのだろう。