控室に通されたベンは、バッグから下剤の小瓶を取り出すと、明かりに透かしながら眺める。

「またコイツを飲むのか……。嫌だなぁ……」

 そう言って大きくため息をつく。

 下腹部を襲う強烈な便意、暴発したら社会的に死んでしまうリスクを背負ったギリギリの戦闘。想像しただけでベンは陰鬱な気分に叩き込まれる。

「くぅぅぅ……、あのクソ女神め……」

 悪態をつくベン。しかし、もはや飲む以外に道はない。ギュッと目をつぶりながら一気飲みをした。

 うぇぇ……。

 ベンはドブの臭いのような強烈な苦みに顔を歪ませる。

 この時、ベンは気付いてなかったが、部屋の隅に勇者パーティの魔法使いが隠遁(いんとん)の魔法を使って潜んでいた。そして、彼女はその下剤の小瓶を見て、

「強さの秘密……見つけちゃったわ。クフフフ……」

 と、ほくそ笑んだ。


       ◇


 いよいよ武闘会が始まる。ベンは呼ばれ、中庭の舞踏場へと案内された。

 バラの咲き乱れる美しい庭園の中にひときわ高く築かれた舞台。本来はここで舞踊などが披露されるのであるが、今日は勇者と若き冒険者ベンの一騎打ちが披露されるのだ。すでに来賓たちは周囲のベンチに腰掛け、今か今かと血なまぐさい決闘を心待ちにしている。

「今を時めく人類最強の男! ゆーうーしゃー!!」

 セバスチャンは渋く低いが通る声を上げ、勇者を舞台へと案内する。

 うわー! キャ――――!

 歓声とともに大きな拍手が起こる中、勇者は颯爽(さっそう)と登場した。

 勇者はオリハルコンで作られた黄金に輝くプレートアーマーに身を包み、青く光る聖剣を掲げての入場である。人類最強の男が、人類最高レベルの装備で登場したのだ。

 勇者とは神より特殊な加護を得た者の称号で、勇者の聖剣は神の力を得て全てを切り裂き、貫く。つまり、勇者の聖剣の前には盾も鎧も魔法のシールドも何の意味もないという、とんでもないチートなのだ。

 それが、今日、これから見られると知って会場は最高潮にヒートアップした。

「続いて、ベネデッタ様を救った若きエース、ベーンー!」

 セバスチャンの案内でベンはよろよろと階段を上がる。すでに下剤は強烈な効果を表しており、脂汗を流しながら思わず下腹部を押さえ、舞台に立った。

 鎧もなく、武器も持たず、苦しそうに顔をゆがめる少年の登場に会場はざわめいた。いったい、人類最強の男を前にしてどうやって戦うつもりなのだろうか? みんな首をかしげ、その不可解な少年を見つめる。

「ベン君! ファイトですわ!」

 ベネデッタはハンカチを振り回しながら必死に声援を送る。他の人には違和感があっても、ベネデッタは調子悪そうなベンの姿をすでにオークの時にも見ているので、気にも留めていなかった。

「両者、見合ってー!」

 セバスチャンはレフェリーとなり、声をかける。

 すると、勇者はニヤッと笑って茶色の小瓶を三つ取り出し、ベンに見せた。

 えっ?

 ベンは目を疑った。それは自分のカバンに残しておいた予備の下剤だった。

「お前がこの薬で怪しいインチキをして強くなってること、俺は知ってるんだぜ」

 勇者はそう言うと三本の下剤を一気飲みした。

 あぁぁぁ……。

 ベンは思わず声が漏れた。なんという壮絶な勘違い。この下剤は薬師ギルドのおばちゃんに頼んで特別に作ってもらった最強の速効成分を濃縮したもの。『危険だから一日一本まで、容量用法はちゃんと守ってね!』と厳しく言われていたのだった。

 三本も一気飲みしたら絶対に我慢できない。

「どうした? 顔色が悪いぞ!」

 勇者は最高の笑顔でベンを見下ろし、ベンはこれから起こる惨劇の予感にゆっくりと首を振った。


 セバスチャンは二人の顔を交互に見て、

「それでは、準備はいいですか? ……、ファイッ!」

 と、叫んだ。

 勇者はニヤッと笑って聖剣を高く掲げると『ぬぉぉぉぉ!』と、気合を込め、真紅に輝く幻獣の模様を刀身に浮かび上がらせる。

「おぉ! 力がみなぎってくる! お前、こんな薬を使ってたんだな」

 勇者は嬉しそうに言うが、下剤にそんな効果などない。ただの気持ちの問題である。

 そして、勇者はベネデッタの方を向き、ニヤニヤしながら、

「約束、守ってもらうぞ!」

 と、叫んだ。

 ベネデッタはムッとした顔で、

「ベン君! 遠慮なく叩きのめしてくださいまし――――!」

 と、返す。

 勇者はベンを見下ろし、ニヤけながら言った。

「悪く思うなよ、ベネデッタは俺のもんだ。ベッドでヒーヒー言わせてやるぜ」

 しかし、ベンは返事をする余裕もなく腹を押さえうつむく。

 ぐぅー、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!

 ベンの腸は本日二本目の下剤に激しく反応し、今まさに肛門が突破されかかっていたのだ。

 ベンは脂汗を浮かべ、必死な形相で般若心経(はんにゃしんきょう)を小声で唱え始めた。

観自在菩薩(かんじざいぼさつ)……」

「何やってんだお前! 行くぞ!」

 勇者はそう言いながら聖剣をブンと振りかぶった。

 ベンは脂汗をダラダラと流しながら、

波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)!」

 と、言いながらカッと目を見開いた。

 その時だった、急に勇者の顔がゆがむ。

 ぐっ!

 そして、

 ぐぅ――――、ぎゅるぎゅるぎゅるぅ――――!

 と、勇者の下腹部が暴れ始めた。

 見る見るうちに青ざめる勇者。

 勇者は苦痛に顔をゆがめ、内またで必死に耐えていたがやがてガクッとひざをついた。

「ベ、ベン! 貴様何をやった!?」

 勇者は奥歯をギリッと鳴らし、必死に腹痛に耐えながら喚く。ベンは何もやってないのだが。

 ただ、ベンにも余裕などなかった。肛門は決壊寸前。括約筋にマックスまで喝を入れて、ギリギリ耐えているのだ。

 煌びやかな舞台の上で、多くの貴族たちに見守られながら、二人が戦っていたのは便意だった。

 しかし、三本あおった勇者の方が分が悪い。ついに肛門は限界を迎える。

「ダ、ダメ! も、漏れるぅぅぅ……」

 勇者が視線を落とし、脂汗をポタポタと落とした時、ベンは内またでピョコピョコと近づくと、

「便意独尊!」

 と、叫びながら勇者の頭を蹴り上げた。

 ぐはぁ!

 勇者の身体はくるりくるりと宙を舞い、庭園の小(みち)にドスンと落ちてごろごろと転がる。そして、

 ブピッ! ブババババ! ビュルビュルビュー!

 と盛大な音をたてながら茶色の液体を振りまき、辺りを異臭に包んだのだった。









9. 殲滅者との友誼

 世界最強の男が下痢を振りまきながら転がっている。そのあまりに異様な光景に、貴族たちは唖然とし立ち尽くす。そして、漂ってくる異臭に耐えられず、ハンカチで鼻を押さえながら急いで退散していった。

 謎の呪文で勇者を行動不能にしたそのシーンは、後々まで語り継がれる事になるのだが、実態は下剤の耐久勝負という実にお粗末な話である。

 セバスチャンは勇者の戦闘不能を確認すると、

「勝者! ベーンー!」

 と、高らかに宣言したのだった。

 それを聞いたベンは、青い顔をして脂汗を流しながらピョコピョコと内またで急いで階段を降り、トイレへと駆けていった。


       ◇


 公爵はセバスチャンを呼んだ。

「お主、今の戦いどう見る?」

「ハッ! 勇者は明らかにベン君を警戒しておりました。普通に戦っては勝てないと思っていた節があります」

「ほほう、人類最強の男が警戒していたと?」

「はい、直前にポーションでドーピングまで行っていました。ですが呪文を受けて攻撃を出す間もなく破れました」

「呪文!? おそろしいな……。もし……、もしだよ? 我がトゥチューラの全軍勢とベン君が戦ったとしたらどうなる?」

「あの呪文を解析しない事には何とも……。勇者をも戦闘不能にする恐ろしい呪文。私には対策が思いつきません。少なくとも今戦ったら瞬殺されるでしょう」

「しゅ、瞬殺!? ……。一体何者なんだ彼は?」

「オークをミンチにし、人類最強の男を(おび)えさせ、フル装備の勇者相手に武器も持たず丸腰で現れ、呪文で葬り去る……。もはや人知を超えた存在かと」

「人知を超えた存在……、大聖女とか大賢者とかか?」

「そのさらに上かもしれません」

「上……、まさか熾天使(セラフ)!?」

「勇者を手玉にとれるのはそのクラスしか考えられません。そして、神話には『熾天使(セラフ)降り立つ時、神の炎が全てを焼き尽くす』との預言がございます」

 公爵は言葉を失った。見た目はどこにでもいる可愛い少年。それが神の炎で全てを焼き尽くす恐るべき熾天使(セラフ)かもしれない。そうであれば、これは人類の存亡に関わる事態なのだ。

 セバスチャンは淡々と言う。

「もし熾天使(セラフ)であるのならば、我々を見定めに降臨されたのかと。神の意向に沿わないようであれば焼き払うために……」

「セ、セバス! 我はどうしたらいい?」

 公爵は青い顔をしてセバスチャンの手を取った。

「私もどうしたらいいのか分かりませんが、まずはベン君と友誼(ゆうぎ)を結ばれることが先決かと」

「友誼、そうだ! 友誼を結ぼう。粗相(そそう)の無いよう、国賓待遇でもてなすのだ! 宰相を呼べ!」

 公爵は脂汗をたらたらと垂らしながら、叫んだ。

 
       ◇


 そんな深刻な話がされているなど思いもよらないベネデッタは、トイレでさっぱりして戻ってきたベンを見つけ、飛びついた。

「やったー! ベン君すごいですわ!」

「あ、ありがとうございます」

 甘くやわらかな女の子の香りに包まれ、ベンは赤くなりながら答えた。

「やっぱりベン君が最強ですわ! ねぇ、騎士団に入って私を警護してくれないかしら?」

 ベネデッタはベンの手を取りながら、澄み通る碧眼(へきがん)をキラキラさせ、頼む。

「へっ!? 騎士団!?」

 ベンは予想外の話に目を白黒させる。Fランクの十三歳の子供が騎士団など聞いたことが無かったのだ。

「勇者を倒したってことは人類最強って事ですわ。この話は全国に広まってあちこちからオファーが来るわ。そして、平民のあなたには絶対断れない命令も来るはず。騎士団に入れば私が守ってあげられるの。いい話だと思わないかしら?」

 ベネデッタはニコッと笑いながら恐いことを言う。

 ベンは単に勇者を倒しただけだと思っていたが、国の上層部の人にしてみたらこれはとんでもない話らしい。言われてみたらそうだ。人類の存亡にかかわる魔王軍との戦闘において、勇者は最高の軍事力。だから特別扱いをしてきたわけだが、それが子供に簡単に倒されたとなれば軍事戦略そのものを根底から見直さねばならないのだ。

 ベンは改めてとんでもない事になってしまった、と思わず宙を仰ぐ。

「何ですの? 私の護衛が嫌なんですの?」

 ベネデッタは不機嫌そうに口をとがらせる。

「あ、いや、もちろん光栄です。光栄ですが……、私は商人を目指しててですね……」

「商人!? 人類最強の男が商人なんて絶対許されないですわよ」

 デスヨネー。

 ベンは思わず額に手を当て、便意から手を切る生活プランがあっさりと瓦解した音を聞いた。

 もはや【便意ブースト】を使わずに暮らすにはこの街から逃げないとならない。しかし、国を挙げて捜索されるだろうから、見つからずに他の街でひっそり暮らす、などというプランが上手くいくとも到底思えなかった。

 ベンはうなだれ、大きく息をつく。

 騎士団に入ることはもう避けられないと観念したベンは、

「騎士団って、朝から晩まで厳しい規律があるじゃないですか。それを免除してもらえたりはできませんか?」

 と、何とか待遇改善に望みを託す。

「うーん、そうですわね。少年にあれはキツいかもしれないですわ……」

 ベネデッタは人差し指をあごに当て、小首をかしげながら考え込む。

「あ、こういうのどうかしら? 騎士団顧問になって、私の外出やイベントの時だけ勤務。これならよろしくて?」

「あ、それなら大丈夫です」

 拘束時間が少なければ何とかやっていけそうだ。むしろ商人より良いかもしれない。

「じゃあ決まりですわ! あっ、お父様、いいかしら?」

 ベネデッタは公爵を見つけると、顧問のプランを相談する。

 公爵はチラッとベンの顔を見るが、ベンは作ったような笑顔で不満げだった。

 マズい……。

 公爵の額に冷汗が流れた。ベネデッタが勝手に話を進めていたのは想定外である。公爵は上ずった声で言った。

「こ、こ、こ、顧問だなんてご不満ですよね? 最高顧問……いや、最高相談役なんてどうでしょう?」

「最高相談役?」

 ベンは何を言われているのかピンと来なくて首をひねった。

 その反応に公爵はしまったと思い、脂汗が浮かんでくる。迂闊(うかつ)な言動は人類の存亡にかかわるのだ。

 その危機を察したセバスチャンが助け舟を出す。

「ベン様、どういったお立場がご希望ですか?」

「こういうとアレなんですが、まだ子供なので、楽なのが良いかななんて思ってます」

 前世に過労死したベンにとっては楽なことは最重要ポイントだった。

「なるほどそれならやはり、ベネデッタ様付きの顧問というのが一番ご希望に沿うかと……」

「そ、そうなんですね? では、それでお願いします」

 ベンはよく分からなかったが頭を下げた。

 それを見ると公爵はホッとして、ニコッと最高の笑顔を作ると、

「ではそれで! ベン様は我がトゥチューラ騎士団の顧問! 申し訳ないですが、その方向でこの娘を頼みます」

 そう言って右手を差し出す。

「わ、分かりました」

 ベンは面倒なことになったと思いながら、引きつった笑顔で握手をする。ただ、この時、公爵の手はなぜか汗でびっしょりであった。

 二人の握手を見たベネデッタは、

「では、最初のお仕事は、わたくしの親戚の子の警護をお願いさせていただくわ!」

 と、いたずらっ子の顔をして嬉しそうに言う。

「し、親戚?」

「そう、可愛い子ですわ。よろしくて?」

「は、はい……」

 ベンはなぜ親戚の世話まで見なきゃいけないのか疑問だったが、ベネデッタの嬉しそうな顔を見ると断れなかった。

 その後、次々といろいろな貴族から挨拶を求められ、ベンはぎこちない笑顔で頭を下げながら社交界デビューを果たしていった。