「え? ちょ、ちょっとどういう……ことですか?」

 恐る恐る聞くベン。

 すると、ベネデッタはガタっと立ち上がり、こぶしをギュッと握ると、

「テロリスト制圧はトゥチューラを預かる公爵家の仕事ですわ。わたくしは責任ある公爵家の一員として教祖を討伐させていただきますわ!」

 と、宙を見上げながら言い切った。

「よっ! 公爵令嬢!」「やっちゃえ!」「頑張れー!」

 酔っぱらった日本のスタッフは赤い顔で拍手をしながら盛り上げる。

 しかし、ベン達にはとてもうまくいくとは思えなかった。

「あー、御令嬢には難しいと……思います……よ?」

 魔王は言葉を選びながら言う。

「べ、便意に耐えるだけでよろしいのですよね? 耐える事ならわたくし、自信がありましてよ」

 ベネデッタは胸を張って得意げに言う。

 顔を見合わせるシアンと魔王。その表情には『面倒くさいことになった。どうすんだこれ』という色が読み取れた。

 ベンも頭をひねってみるが、公爵令嬢は言い出したら聞かない。適当なことを言うだけでは納得しないだろう。しかし、どうすれば……?

すると、シアンは肉の皿をのけ、ベネデッタの前に金属ベルトのガジェットをガンと置き、

「じゃあ、一度やってみる?」

 と、ニコッと笑った。

「えっ!? い、今ですの?」

 目を真ん丸に見開き、焦るベネデッタ。

「だって本番は来週だからね。善は急げだよ!」

 シアンは嬉しそうにサムアップしながらそう言うと、ビールを飲んで「ぷはぁ」と幸せそうな顔を見せた。


      ◇


 研修用の異空間に来た一行。そこは見渡す限り白い世界で、どこまでも白い床が広がり、真っ白な空が広がっている。

 シアンは仮設トイレを設置し、ベネデッタに中に入るのを勧めたが、

「ベン君はトイレなんて使いませんでしたわ!」

 と、断ってしまう。

 シアンはしばらく考え込むと一計を案じ、すりガラスのパーティションを用意してその向こうにベネデッタを立たせた。

「パーティションもいりませんわ!」

 ベネデッタは毅然(きぜん)と言い放ったが、

「万が一事故が起こるとまずいからね、一応ね」

 と、シアンはなだめる。そして、

「はい、ここはテロリストの総決起集会の会場デース。イメージしてー」

 と、両手を高く掲げながら楽しそうに言った。

「イ、イメージしましたわ」

 ベネデッタは目をつぶり、うなずく。

「教祖がやってきマース。教祖は『トゥチューラの連中を神の元へ送るのだー! 純潔教に栄光をー!』と叫んでマース」

「ひ、ひどい連中ですわ!」

「怒りたまったね?」

「溜まりましたわ!」

 パーティションの向こうでぐっと両こぶしに力をこめるベネデッタ。

「便意に負けちゃダメだよ」

「負けることなどあり得ませんわ!」

 ベネデッタは憤然(ふんぜん)と言う。

「本当?」

 シアンはニヤリといたずらっ子の顔で笑う。

「公爵家令嬢として誓いますわ、わたくし、便意なんかには絶対負けません!」

 力強い声がパーティションの向こうで響く。

「OK! スイッチオン!」

 ベネデッタは何度か大きく深呼吸をすると、ガチッと力強くガジェットのボタンを押し込んだ。

 ブシュッ!

 と、嫌な音がして、ベネデッタの可愛いお尻に薬剤が噴霧された。

 ふぎょっ……。

 生まれて初めての感覚に変な声が出るベネデッタ。パーティションの向こうで腰が引けた姿勢で固まっているのが見える。

 直後、ポロン! ポロン! ポロン! と電子音が続き、一気に『×1000』まで表示が駆けあがる。

 ふぐぅぅぅ!

 声にならない声があがり、バタンとベネデッタは倒れてしまう。

「あーあ……」

 シアンはそう言うと、すばやくベンの前に立った。そして、両手でベンの耳を押さえると、響き渡る壮絶な排泄(はいせつ)音が聞こえなくなるまで音痴な歌を歌っていた。

 ベンは状況を察し、何も言わずただ目を閉じて時を待った。なるほど、普通の人には耐えられないのだ。やはり自分がやるしか道はない。

 ベンはこぶしをギュッと握り、そして大きく息をついた。


       ◇


 トゥチューラの人気(ひとけ)のない裏通りに転送してもらった二人。宮殿への道すがら、ベネデッタはずっとうつむいて無口だった。

 ベンはベネデッタの美しい顔が暗く沈むのを、ただ見てることしかできなかった。生まれてきてからというもの、あそこまでの屈辱はないだろう。かける言葉も見つからず、ただ静かに歩いた。


 別れ際、ベネデッタがつぶやく。

「ベン君の凄さが身にしみてわかりましたわ」

 ベンは苦笑し、答える。

「まぁ、向き不向きがあるんじゃないかな」

「便意に耐えるだけ、ただそれだけのことがこんなに辛く、苦しかったなんて……。ごめんなさい」

 うなだれ、肩を落とすベネデッタ。

「大丈夫、トゥチューラは僕が守ります。教祖を討って日本で楽しく暮らしましょう」

 ベンはパンパンと軽くベネデッタの肩を叩き、ニッコリと笑って励ます。

 ベネデッタはうっすらと涙を浮かべた目でゆっくりとうなずいた。

 ベネデッタは王女として生まれ、蝶よ花よとして育てられてきた。その美しい容姿もあいまって、周りの人がベネデッタに向ける視線にはみな思惑が混じっている。だから心から親しくなれる人もおらず、ちやほやされる中でもずっと孤独だった。

 このままでは政略結婚させられ、一生かごの中の鳥で過ごすことになってしまう。そんな鬱屈とした暮らしの中でいきなり現れた希望、それがベンだった。献身的に街を、世界を救おうとするその姿勢に惹かれ、また、受け身だけだった今までの自分の在り方に反省もさせられた。

 我慢するだけで世界を救えるなら自分にもできる、自分が街を救う千載一遇のチャンスだと手を上げてみたものの、結果は惨敗。十万倍どころか千倍で意識を失ってしまった。

 そんなみじめな自分にも優しい声をかけ、自分のわがままで言いだした日本移住も頑張ってくれるという。まさにベネデッタにとってはベンは希望の熾天使(セラフ)だった。

 ベンの力になりたい。

 もちろんベンが失敗したら自分たちはシアンに殺されてしまうのだが、そうでなかったとしても苦しむベンの力になりたかった。

 ベネデッタはベンの手をぎゅっと握りしめ、しばらく肩を揺らしていた。





34. メイドの適性検査装置

 それから一週間、ベンは毎日便意に耐える練習を繰り返した。十万倍を出すとどうしてもすぐに意識を失ってしまうので、何とか意識を失わない方法はないかと一人トイレに籠って試行錯誤を繰り返す。

 何しろ十万倍で教祖を討たない限りこの星は滅んでしまうのだ。その重責に押しつぶされそうになりながら孤独に便意と戦っていた。

 屋敷のメイドたちはその奇行を見て不思議そうに首をかしげる。

 トイレで気を失い、しばらくしてげっそりした顔で出てきたベンに、赤毛のメイドが聞いた。

「ご主人様何をされているんですか? そろそろお部屋に呼ぶ娘を決めてください」

 メイドは不満そうに頬をぷっくりとふくらませている。

「あー、そうだったな……」

 彼女たちを抱くような余裕はないが、確かにそろそろ誰かを指名してあげないと不満が爆発してしまう。

 ベンはしばらく思案し、ニヤッと笑うと、大浴場にメイドたちを集めた。


       ◇


「そろそろ部屋に呼ぶ娘を決めたいと思う。希望者はこれをつけなさい」

 ベンはそう言って、魔王から借りてきた金属ベルトのガジェットを台に山盛りに載せた。

「これは……、何ですか?」

 赤毛のメイドは目鼻立ちの整った美しい顔に不思議の色を浮かべ、金属ベルトをしげしげと眺めた。ベンはチクリと胸が痛んだが、一晩百万円の栄誉と引き換えの試練は甘くはないのだ。

「これは適性検査装置だ。この適性検査に合格した者は毎日部屋に呼んでやろう。ただし、結構つらい試験だ。よく考えて決めなさい」

 ベンがそう言うと、メイドたちは先を争って金属ベルトを奪い合うように手にしていく。若く美しい娘たちが便意促進器に群がる姿はひどく滑稽で、この世界の理不尽を思わせた。

 使い方を教え、いよいよ適性を検査する。これは嫌がらせではなく、もし、耐えられる娘がいるなら一緒に集会についてきてほしかったのだ。彼女たちの異常な執念ならもしかしたら耐えられるのかもしれない。

「ボタンを押して一分間便意に耐えられたら合格だ。用意はいいか?」

 ベンはそう言ってみんなを見回した。

「ふふふ、すごい特殊なプレイですね。一分なら余裕ですよ! 今晩は私と二人きりですからね!」

 赤毛のメイドは嬉しそうに笑う。

「私も便意ぐらい耐えられます! もし、たくさん合格したらどうなるんですか?」

 他のメイドが不安そうに聞いてくる。

「一分は長いぞー。そんなことは心配せずに耐えてみせなさい。ちなみに僕は余裕だからね」

 ベンはニコッと笑って言った。

「一分ぐらい余裕だわ!」「ようやく夢が叶うわ!」

 メイドたちは合格する気満々である。

 ベンはそんなメイドたちを見渡すと、

「ハイ! では、ボタンに手をかけてー! 三、二、一、GO!」

 と、叫んだ。

 メイドたちはベンを挑戦的なまなざしで見ながら、一斉にボタンを押し込んだ。

 ガチッ! ガチッ! ガチッ!

 ふぐぅ……。くぅ……。ひゃぁ……。

 あちこちから声にならない声が上がる。

 直後、真っ青な顔をしてバタバタと倒れていくメイドたち。

 あれほど自信満々だったのに、誰一人耐えられなかったのだ。

 大浴場には壮絶な排泄音が響き渡った。

 ベンは急いで耳をふさぎ、目をつぶって「アーメン」と祈る。

 彼女たちのガッツに期待したのだが、残念ながら適性者は現れなかった。

 大浴場には汚物にまみれてビクンビクンと痙攣(けいれん)をする女の子たちが死屍累々(ししるいるい)となって横たわる。

 ベンは掃除洗濯は自分がやってあげるしかないな、とため息をつき、肩を落とした。


        ◇


 その頃、窓の外に巨大な碧い星、海王星を見渡せる衛星軌道の宇宙ステーションで、小太りの中年男が若いブロンドの女性と打ち合わせをしていた。

「いよいよだな。計画は順調かね」

 中年男はドカッと革張りの椅子にふんぞり返り、ケミカルの金属パイプを吸いながら女性をチラッと見た。

「順調でございます、ボトヴィッド様」

「うむうむ。計画が上手く行くよう、ワシの方で秘密兵器を用意してやったぞ」

 そう言うとボトヴィッドと呼ばれた中年男は指先で空間を切り裂き、倉庫に積まれた金属ベルトのガジェットの山を見せる。そして、ニヤリと笑うと、一つ取り出し、女性に渡した。

「こ、これは何ですか?」

 女性はいぶかしそうに金属ベルトとプラスチックノズルを子細に眺める。

「まず、この映像を見たまえ」

 そう言うと、ベンがヒュドラを瞬殺した時の映像を空中に再生した。

「ベ、ベン君……」

 女性は驚いて目を丸くする。

「なんだ、この小僧のことを知っとるのか?」

「え、ええまぁ……。しかしこの強さは?」

「この小僧はこの金属ベルトでとんでもない強さを発揮しておった。戦闘員全員分用意してやったから装着させなさい」

 ドヤ顔のボトヴィッド。

「いやしかし……こんなベルトがパワーを生むとは考えにくいのですが……」

「なんだ! お前はワシの見立てにケチをつけるのか!?」

 ボトヴィッドはひどい剣幕で怒る。

「い、いやそのようなことは……」

「そのベルトのボタンを押した瞬間、攻撃力がグンと上がったのじゃ。そのベルトが魔王側の切り札であるのは間違いない。ワシらは量産で対抗じゃ!」

 悪い顔でニヤッと笑うボトヴィッドに、女性は渋い顔をしながら答えた。

「わ、わかりました。戦闘員全員に着用させます」

「よろしい。では吉報を待っているぞ」

 ボトヴィッドはニヤリと笑い、席を立つ。

「お、お待ちください。街の人全員を生贄に捧げたら星をいただける、というお約束は守っていただけるのですよね?」

 女性は眉をひそめ、ボトヴィッドをすがるように見る。

「ふん! 俺を信じろ。生贄さえ用意してくれれば約束通り管理局(セントラル)に提案しよう。女性だけの星というのはいまだに例がない。通る公算は高いだろう」

「ありがたき幸せにございます」

 女性はうやうやしく頭を下げ、スススとたおやかなしぐさで、空中に開いたドアから帰っていった。

 ボトヴィッドは窓から(あお)く雄大な海王星を見下ろし、大きく息をつく。その巨大な惑星は表面に雄大な筋の模様を描きながら、どこまでも純粋な碧い色をたたえていた。

 ボトヴィッドはとある星で一番のエンジニアだった。膨大な量のデータを巧みに解析し、最適解をスマートに生み出し、お客はいつも感嘆してくれていた。そして、その実績が買われ、星の管理者(アドミニストレーター)にスカウトされたわけだが、実際の星の運営はとても彼の手に負えるものではなかった。

 予測不可能な原始人たちの行動。いきなり始まる小競り合い、そして戦争。弱った人々を襲う疫病。いつまで経っても文化文明は立ち上がって来ない。そんな中でかつては部下だった魔王の星が順調に立ち上がり始めたのだった。

 この屈辱にボトヴィッドは震える。トップエンジニアが部下に屈するなどあってはならなかったのだ。そしてボトヴィッドは禁断の手段に打って出る。魔王の星をグチャグチャにして廃棄処分に追い込んでやろうとたくらんだのだった。

 魔王の星の調子に乗ってるカルト宗教の小娘を、言葉巧みに口説くのに成功したボトヴィッドは、街を完膚なきまでに破壊させることにする。魔王が育ててきた文化文明は灰燼に帰すのだ。

 くっ、くふふふっ。

 ボトヴィッドは笑いが止まらなかった。

 もちろん彼には、それが醜悪な八つ当たりであり、人間として最低の行為だという事は分かっている。むしろ、だからこそその甘美な背徳の情念が彼の背筋をゾクッとくすぐるのだ。

「魔王は処女の小娘に負けるのだ。クフフフ……、ふぁっはっは!」

 海王星のオフィスには昏い笑い声が響き渡った。