「……──では、僕《わたし》はこの辺りで。この度はたいへんご迷惑をおかけしましたと、王女殿下にお伝え下さいまし。一応、僕《わたし》の方で国教会の方に大司教の派遣を要請しておきますね。王女殿下の容態を診ていただく必要がありますので」

 お詫びにもなりませんが、何か健康に良い物を後日お贈り致します。と付け加えて恭しく腰を曲げる。
 叶うなら彼女が目を覚ますまで見守っていたいのだが、生憎と仕事が山積みで、あまり休みすぎるといくつもの部署の機能が停止してしまうんですよね。

 仕方無いよね……陛下が元々あった各部署を統括する最高機関元老院を解体して、その代わりとばかりに各部統括責任者なんて前例の無い役職を作り、全てを私に押し付けて来たのですから。
 その為、仕事量が異常なのだ。本来複数人(それも元老院に参席する程の優秀な者達)で処理すべき多くの仕事が全て私一人の元に舞い込む。
 一日でも休めば簡単に仕事が溜まる。今みたいに催事の準備なども並行していれば尚更。なので仕方無く、彼女の事は彼等に任せて僕《わたし》は仕事に戻る事にした。

 ……どうか、彼女の事をよろしくお願いします。
 僕《わたし》には名前を呼ぶ事も出来ない、大事な大事な人。いつか僕《わたし》が面と向かってその名を呼べる日まで、どうか。

 絶対に死なないでくれ。今度こそ(・・・・)、貴女にちゃんと──……愛してると言わせて欲しい。
 陛下の代わりになれるなどとは思わないけれど、少しだけでも彼の代わりに貴女に愛を伝えたい。自業自得で情けない後悔ばかりの僕《わたし》だけど…………ようやく取り戻せたこの親愛を、貴女に伝えたいんだ。
 後ろ髪を引かれる思いのまま東宮を出て、城に戻り、僕《わたし》は仕事に励んだ。あんな悪夢を見たというのに、寧ろ調子が良い。
 あのような結末にだけはならないようにしなければ。そんな目標が出来たからだろう。

 その日の夕方。期日の近い仕事を一通り片付けた後、陛下に今日の叙任式について報告に向かった。
 僕《わたし》の報告に、彼は酷く興味無さげに「そうか」とだけ短く返事をしていた。陛下は、まるでただの相槌のように同じ言葉を繰り返す。
 だが途中で、少しだけ言葉を発してくれた。

「何故あの女に貴重な人材を与えてやらねばならないのか、本当に分からん。人材こそ無限にある訳ではないのだぞ」

 不満ダダ漏れですね、陛下。

「それはそうですが、王女殿下の件に関しては本来与えられるべきものを与えただけですし。来年度に我が国で三年振りの国際交流舞踏会が行われる事が大陸議事会で決まったのですから、王女殿下には少しでもフォーロイトの名に恥じぬ風格というものを身につけていただかないと」
「舞踏会に関しては、私の与り知らぬ所で議事会の古狸共が勝手に決めただけだ。風格がどうのと言うが、あの女をパーティーに参加させなければ良いだけの話ではないのか?」
「ですが、舞踏会に王女殿下が不参加では体裁を保てないかと。何せ彼女は、たった三人の皇族のうちの御一人なのですから」
「チッ……居ても居なくても変わらんだろう、忌々しきあの女など……」

 彼女の事を考えさせられ、更に不機嫌さを増す陛下の顔。彼女が居ても居なくても変わらない……なんて事、僕《わたし》には同意すら出来ない。
 絶対に陛下には面と向かって言えないけれど、僕《わたし》は彼女が生きていてくれないと困る。何せ僕《わたし》の今の望みは、陛下も彼女もフリードル殿下も、皆が幸せになってくれる事だから。

「……ケイリオル。何か心境の変化でもあったのか」

 一通り報告し終わった時、陛下から藪から棒にそう問われた。
 驚いた。まるで他者に興味を持たないあの陛下が、部下の些細な変化に気づくなんて。今夜はちょっと豪華な料理を用意しましょうかね……。

「そう見えますかね」
「まるで昔のお前に戻ったようだ」
「陛下……『僕』はお嫌いですか?」
「さあな。どれもこれも大して変わらんだろう」
(──お前はお前でしかないのだから)

 僕《わたし》の眼の事を知っているからこそ、陛下はあえて口にはせず心の中にそれを留めたのだろう。
 透過の魔眼を何だと思っているのやら……そういうのは、ちゃんと口にして欲しいんだけどなって昔から言ってるのに。三十年経っても変わらないな、貴方は。
 ふふっ、と懐かしさから笑いが零れてしまう。

「陛下、心境の変化がどうのと問うてきたのは貴方ですよ?」
「皇帝に楯突くとはいい度胸だな」
「あっ…………すみません調子に乗りました申し訳ございません」

 陛下の鋭い睨みがこちらに向けられたので、とりあえず平謝りする。

「陛下が僕《わたし》の事を想像以上に見て下さっていた事が嬉しくて、つい年甲斐もなく気分が舞い上がっておりました」

 ああ。やっぱり僕は、貴方の事も大好きなんだ。僕《わたし》となっても、私であっても。貴方が思うように僕《わたし》は僕《わたし》だから。
 アーシャも、アミレスも、フリードルも──貴方《エリドル》も。全員が本当に大事で、かけがえの無い存在だ。
 これ以上失う前に気づけて良かった。本当に良かった。

「……本当に昔に戻ったかのようだな。その妙な気色悪さも懐かしく感じる」
「ふふ、たまには良いではありませんか。ついでに陛下も御一緒に如何ですか?」
「黙れ異端児。お前は本当に昔からそうだな……私を巻き込むなと何度言えば理解するんだ」
「僕《わたし》と同じかそれ以上に、貴方も僕《わたし》を巻き込んでましたけどね」
「…………」
「…………」

 これはー……不味いですね。彼の目が完全に据わってますね。久々に彼とこうやって楽しく話せた事が嬉しくて、ついうっかりやりすぎてしまった。
 我が表情筋も、今やだらしなく崩れてますし。

「──ケイリオル。三ヶ月休み無しと十日間の激務ならどちらが良いか」
「あっはは〜……いやぁ…………」
「成程どちらもか。フッ、強欲な奴め。良かろうどちらもくれてやる。喜べ、皇帝自らお前に特別な贈り物を用意してやろう」
「げっっ!?」

 こんな時ばっかり楽しそうな悪どい笑顔を作るんだよなぁ、この人は! どこまでも本当に氷の血筋(フォーロイト)らしさの塊だね貴方は!!

「無論、皇帝《わたし》の側近たるお前は逃げ出したりせんだろう?」
「うっ……」
「精々励むといい。俺《・》の為ならば、お前は何だってやるのだろう。期待してやらん事もないぞ」
「貴方って人はぁ〜〜っ、もう…………はぁ、頑張ります……」

 やらないとか言っておきながら結局やってるじゃないか。貴方の口から『俺』なんて言葉を聞いたの、二十年振りとかですよ。
 それは嬉しいですけど、三ヶ月休み無しで十日間激務かぁ…………過労で死なない事を祈ろう。
 この先暫くの地獄を悟り、自分の執務室に向かう道中にて、僕《わたし》は静かに空を仰いでいた。