「──卿。ケイリオル卿。急に黙り込んで……まさか、本当に何か心当たりがあるのか?」

 イリオーデ卿が私に詰め寄る。その声に引っ張られるように、私はハッと意識を取り戻した。
 彼等からは見えていないでしょうが……私の頬や首には冷や汗が滝のように流れており、この眼からは涙が溢れている。

「…………私、は……今何を……」

 実際に起きた出来事かのような、あまりにも生々しい悪夢。その悪夢の中で私は王女殿下を殺害しただけに飽き足らず、それを後悔して醜態を晒していた。あの人が死んだ時と同じぐらい傷つき、苦しんでいた。
 先程の悪夢は一体何だったのでしょうか。正確には悪夢ではなく、突然私の脳に流れ込んで来た記憶に無い記憶の激流だったのですが……ここは便宜上悪夢と称しましょう。

 あの悪夢が何なのか私には分からないが、これだけは分かる。あれは──ずっとケイリオルの仮面を被り続けていた私への天罰だ。
 私は既に、昨年彼女にその仮面をぶっ壊されたばかり……と言いますか。彼女の自決発言の所為で柄にもなく取り乱し、気がついたらケイリオルの仮面は砕けてしまっていた。そして凍結していた心は今しがた溶けてしまった。
 故に。悪夢の私と、今の私は違う。もしもあれが数ある未来の可能性だと言うのならば、今の私にならば変える事だって出来るかもしれない。

 陛下が彼女を戦争の理由にして処理する事で起こり得る最悪の結末があれだと言うのであれば、それを未然に防ぐまで。
 無情の皇帝の側近として彼を裏切らない程度に、私は──僕《わたし》に出来る最善を尽くすのみだ。

「心当たりは……」
「その人には心当たりなんてごまんとあると思うぞ」

 心当たりはあると、そう答えようとした時。僕《わたし》の言葉を妨げるように赤髪の少年が口を開いた。
 そんな彼に向けて、マクベスタ王子が「どういう事だ、カイル」と問い掛けた。
 ……カイル。赤髪に黄緑色の瞳のカイル…………と言えばハミルディーヒの第四王子と非常に特徴が合致するのですが。え? ハミルディーヒの王子が帝国に来たなんて報告は上がってませんよ? 密入国ですか? そもそもどうやって皇宮まで入って来たんですか、彼。

 ちょっと王女殿下? 彼の事は割とマジでまっったく聞いてないですよ。あの少年少女の事や私兵団を東宮で働かせる事などは逐一確認して下さったのに、どうしてこんな重要な事に限って報告してくれないんですか。一歩間違えたら国際問題なんですからせめて一言くれませんか??
 ばっ、と王女殿下の方に顔を向けて、届く筈もない心の中で必死に訴える。

 いくら僕《わたし》が貴女を守ろうとしてもやれる事には限度がある訳でして。あまりそう体のいい処刑理由とかを作られてしまいますと、僕《わたし》でさえもどうにも出来なくなってしまいますので……!
 なのでこれからはせめて一言ください! と彼女に向けて念を送っていると、カイル王子がちらりとこちらに視線を向けて来て。

「だってその人は皇帝の側近なんだろ? 心当たりの一つや二つあってもなんらおかしくはない。違うか? ケイリオル卿?」
「…………その通りです。僕《わたし》は、陛下が王女殿下をいずれ殺すおつもりである事を知っています」

 この発言に彼等は少しざわついた。仇を見るような強く鋭い視線が、いくつも僕《わたし》を貫く。
 その中心に立ち、僕《わたし》は毅然とした態度で宣言した。

「だからこそ、ここで王女殿下に誓いましょう。僕《わたし》は、これから先の未来何があっても王女殿下を殺害しません。その上でこれまで通り──いえ、これまで以上に王女殿下が少しでも安全に生きられるよう最善を尽くしましょう」

 あのような最悪の結末を迎えないで済むように、僕《わたし》は誓おう。今度こそ、あの人との約束を守る為に。彼女の笑顔と幸せを守る為に。

「……まァ、確かに。お前は昔っから姫さんの為に色々と動いてたからな。それが嘘じゃないって言うのなら、その言葉も信じてやるよ」

 彼は恐らく、七年程前に王女殿下の剣と魔法の師としてハイラが連れて来た謎の男……と報告されていた人だろう。
 そんな赤髪の青年は随分と大きな態度で物を言った。王女殿下と共にいた時間の長い彼が僕《わたし》について肯定的な意見を述べた事で、他の方々も僕《わたし》の言葉をゆっくりと飲み込んでくれたようだった。

「お前の意見は分かったのじゃ。だがまだ不明瞭な事がある。何故、アミレスはお前を見て『また殺されるの』などと口ずさんだ?」

 それこそ僕《わたし》が聞きたい──、とついつい本音がまろび出てしまいそうになる。
 ただ、今となってはそれにも何となくの見当がつく。

「僕《わたし》の背格好が陛下とそっくりだからかと。よく言われるんです、後ろ姿が似ていると」
「……言われてみれば」
「確かに、皇帝陛下と似ているような」

 くるりと振り返って、背中を見せてみる。するとイリオーデ卿とルティの二人が納得の声を漏らした。

「あまり詳しくは存じ上げませんが……王女殿下は、陛下や皇太子殿下に不要とされてしまうもしもの可能性に気づいていらっしゃるのでしょう? それならば、陛下と似た僕《わたし》の後ろ姿を見て陛下と重ねてしまい、突発的に訪れた恐怖などからそう言った言葉が出てしまっても、不思議ではないかと」

 よく回る口だ。よくもまぁそれっぽい事を次々と口に出来るな。
 こんなの怪しまれて当然──……、

「ふむ……こやつの言葉はまだ信じるに値しないが、アミレスは情緒不安定なところがあるからのぅ。一概に無いとも言い切れぬのじゃ……」
「ケイリオル卿にはいつも世話になっているとアミレスも言っていた。かく言うオレも、何かと便宜を図って貰ったからな……ケイリオル卿が完全な敵だとはどうにも思えないんだ」

 いや意外といけましたね。ナトラという少女とマクベスタ王子、あまりにもチョロ…………ごほん。人を疑うという事を知らないらしい。