静かに短剣《ナイフ》を鞘に収めて、イリオーデはやはり喜びを顔に滲ませてそれを懐に入れた。これを予見していたかのように、私兵団団服の内側には小さめの武器などが収納出来るようになっているのだ。
 この事に勿論イリオーデも気づいていたので、

(流石は王女殿下だ。ありとあらゆる可能性を考慮してこのような機能をも団服に設けて下さるなんて。この団服を身に纏っていると、まるで王女殿下の慈愛の御心に包み込まれているような気分になる──……)

 いつもの発作が起こっていた。いつもより少し気持ち悪さが増しているが、概ねいつも通りである。

(これで皆へのお土産は渡せたと。シルフへのお土産は師匠に頼んだし、ハイラとメイシアにはまた今度会った時に渡そう。ディオ達に買った詰め合わせのお菓子セットは明日にでも渡しに行こうかな……食べ物だから賞味期限とかあると思うし)

 アミレスが持つお土産が入っていた袋の中には、まだいくつかのお土産が残る。ハイラとメイシアに買ったお土産は食べ物ではないので、すぐに渡さなければならない理由は無い。しかしディオリストラス達私兵団へと買ったお土産は食べ物なので、あまり日を置く事が出来ないのだ。

 他にも東宮で働く者達へのお土産や、この作戦のMVPアルベルトへのお土産、魔法薬を貰ったお礼にとケイリオルにもお土産を買っていたアミレスは、今後数日間各家を訪問したりしてお土産を渡し歩く事に。
 ただ諜報部に所属するアルベルトだけは接触が難しく、お土産を渡す事が後回しになってしまったのであった。


♢♢♢♢


 ──精霊界は中心部、星の城にて。
 多くの上位精霊が忙しなく駆け回り、各属性の最上位精霊もまた、共通の目的に向けて奔走する。その中心にて不機嫌に顔を歪めるのはその世界で最も美しい存在、精霊王。

 精霊界で最も美しく、精霊界で最も面倒臭い存在。
 精霊界創世の時よりずっとこの世界を統治し、精霊達を見送って来た存在に、精霊達が逆らえる訳もなく。最上位精霊達はかの存在による理不尽に耐える日々を送っていた。

 もっとも──彼等彼女等が精霊王の理不尽に応じるのは、ひとえに、精霊王を心から信頼し、敬愛しているからなのだが……本人達はそれを頑なに認めない。認めたがらないのだ。
 そんな精霊王による理不尽は、基本的に気の置けない仲の相手に向けられる。なので、一部の最上位精霊達が極端に理不尽な目に遭っているのが現状であった。

「もうやだぁああああああああああ! 書類仕事ばっかりで! 頭がパンクする!! 大空を飛び回りたい!!!!」
「ほんまになぁ……そろそろ休ませて欲しいわぁ……」
「休む暇があるなら働ケ、って言うだろうね我が王ハ」
「もー、何これちょーツラすぎ!! 我が王は好き(ラブ)だけど仕事はマジ嫌い(ラブレス)なんだけど! ねーねー、ニグちんルメちんアズちん。ウチもう帰っていいっしょ?」
「「絶対駄目」」
「自分だけ逃げられると思わんときや、ハーツ。死ぬ時は一緒やで?」
「えぇーーー?」

 翼の最上位精霊ウィニグ、風の最上位精霊ハノルメ、鏡の最上位精霊ミラアズ、愛の最上位精霊ハーツが気の遠くなる書類の山を前に絶望する。
 理不尽の被害者その一からその四まで。彼等彼女等は精霊王による理不尽の被害者……その氷山の一角に過ぎない。

 最上位精霊達に任された仕事は通常業務。精霊界の統治及び運営に関する書類の整理や作製、そして処理だった。
『いつもの仕事までやってたらいつまで経っても制約の破棄に乗り出せない。だからこっちは君達が代わりにやっておいて』
 サラリと、流れるように何体かの最上位精霊にこの通り仕事を押し付けて、シルフは制約の破棄の方に取り掛かっている。
 そもそも制約とは各界と天界との間で取り決めた約束事を指す。つまり、制約の破棄とは神々との約束を破る事なのだ。

 当然神々からすれば約束を破られたら困る。しかし神々と言えども『制約を破棄する事は出来ない』という項目を作る事は出来なかった。世界(・・)がそれを許さなかった。
 なのでその代わりに、制約の破棄には七面倒臭い手順を踏ませる事にした。約一つの制約を破棄する為に必要な手順、およそ百個。それを全て正確に寸分の狂い無くこなしてようやく一つの制約が破棄されるのだ。
 神々は思った。

 ──こんなめんどくさい手順を踏んでまで制約破棄したいとも思わんだろ。だって超めんどいし。

 その慢心が仇になった。数千年の時を経て精霊達の神々への嫌悪は山のように積み重なり、制約の穴をついて強引に制約を破棄するまでに至るなど、さしもの神々と言えども予知出来なかった。
 まさか精霊達が、真っ先に『制約の破棄には然るべき手順を踏む必要がある。』という項目を破棄し、その後に『制約はひと月につき二つまで破棄可能。』という項目を破棄しようとしている事を、神々は知らない。

 何せ神々はそもそも精霊も、魔族も、妖精も、本来彼等の子である存在達への興味関心をほとんど失っていたから。
 数千年に一度(たまーに)会うだけの相手を記憶に留めておく必要性が、神々には感じられなかった。
 故に神々は気づかない。従順な道具だと思っていた精霊(こども)達が、堂々と神々(おや)に歯向かおうとしている事に。そしてその隙をつく為に、こうしてシルフ達精霊は毎日必死に制約を破棄する準備をしているのだ。