交渉決裂だと。取引は成り立たないと返事したかったのに、それを伝える事が出来ず終いだったのだ。
 それなのにこんな所でもその名前だけを聞いて、しかして二人の姿は無く。流石の彼等とて、振り回されたようなこの状況に気を落とすというものだ。

「その二人の正義の味方とやらがお前達を助けたんだな?」
「うん」
「海賊共に攫われた奴等を助けて、海賊共を海に沈めたのもその正義の味方なんだな?」
「それはわかんないけど……あたし達の事を見つけて助けてくれたのはおにいちゃんで、すごく怖い化け物をやっつけたのはおねえちゃんだよ」
「……そうか」

 ぐっと唇を噛み締めて、ヘブンは黙り込んだ。
 そして、思考する。

(あの聖女はフォーロイトだ。あの無情の皇帝の娘なんだ……海賊共と渡り合える力や、船を沈められる程の魔力を持っていてもなんらおかしかねぇ。だが分からん、何であのガキ共は──……攫われた奴等を解放して、海賊船を沈めた?)

 彼等にはそれが分からない。分かる訳がなかった。
 何せアミレスとカイルが海賊船を襲撃したのは、ほとんど偶然のようなものだからだ。偶然いくつかの事件の繋がりに気づいてしまったから。だからこそ、アミレスは持ち前の偽善で突発的にこの襲撃を決めた。
 そこにきちんとした理由なんて無い。ただ『知ってしまったから』海賊を殲滅する事にしたのだ。

 だから彼等が『理由』を見つける事は不可能。もし何か理由らしきものが彼等の中に生まれたならば、それは彼等がそうであれと願ったこじつけでしかない。
 しかし。だからこそ、だ。
 それらしき理由《こじつけ》が見つからないからこそ、彼等は思う。あの二人の善性を信じようと……あの取引での覚悟を認めようと、そう思ってしまった。

(アイツ等はシャーリーがウチの人間だと知らない。知ってたなら、シャーリーの傍を離れたりせずオレ達に恩着せがましく取引に応じるよう詰めて来やがる筈だ。ここを離れる理由が無い。だからアイツ等はこの事を知らない筈だ……なら何だ? アイツ等は本当に、何が目的なんだ──?)

 分からない事が多過ぎる。ただ一つだけ分かる事があるとすれば、間違いなく、あの二人の子供達の力でシャーリーが助けられた──……つまり、彼等《スコーピオン》にとって大きな借りが出来てしまった事。

 正史では、魔導遺産《ロスト・アーティファクト》により強化された海賊達との激戦の果てにスコーピオンは構成員の三分の一程を失い、幹部のドンロートル、ラスイズ、ノウルーをも失う事になる。更にはシャーリーは助けられたものの、魔導遺産《ロスト・アーティファクト》の影響を受けて酷い後遺症が残り、まともな生活が不可能となる。

 まさに辛勝とも言うべき勝利だった彼等だが、この偽史においてはそもそも戦う事もなく、後遺症らしき後遺症も無いままシャーリーは助けられた。
 たった二人──とヒトリの精霊の力によって。完璧に、あっという間に歴史は歪められた。
 勿論彼等はそのような正史を知らない。なので、この現在が彼等にとってどれ程に喜ばしい事かも理解し得ないのだが……それを知らずとも、彼等がアミレス達に『大きな借りが出来た』と認識する事に代わりはない。

 彼等はいわゆる裏社会の情報屋や傭兵ギルドのような姿も併せ持つ為、闇組織に分類されるものの、平等と公正を重んじる組織スコーピオンの一員。例え相手が誰であろうとも、受けた恩はきっちりと返す。そんな組織だ。

「……とにかく帰るぞ、テメェ等。シャーリーは無事にオレ達の元に戻って来た。これでもう十分だ、オレ達の家に帰るぞ」
「今夜はシャーリーが戻って来た記念の宴っすか?」
「はァ…………好きにしろ」
「「「「いぇーーーーーいっ!」」」」

 ラスイズの浮かれた提案も、ヘブンは呆れながら許可した。しかしこれには構成員達も大はしゃぎ。拳を突き上げて歓喜の声を上げた。
 スコーピオンの者達は、それ程にシャーリーを愛しているのである。

 ヘブンとてそれを知っているから宴を許したのだ。ヘブンは優しく、丁寧にシャーリーを抱き上げて踵を返した。その後ろに続くように、スコーピオンは賑やかにぞろぞろと歩き始める。
 ミアはメフィスと手を繋いで、ヘブンのすぐ後ろを歩いていた。そうやって、彼等は海賊船には目もくれず、未だ混乱ひしめく町に戻って行ったのだった。

(ああ、最悪だ。こんなでけぇ借りが出来ちまった以上、アイツの取引に応じないといけなくなったじゃねェか──……)

 なんて言う風に思うものの。この時シャーリーに向けられていたヘブンの顔は、とても穏やかなものであった。