「私が誰か紹介など出来れば良かったんだが、生憎と私に女の知り合いは全くいないのでな。自力で頑張れ」
「はいはい、最初からそのつもりですよ」

 紅茶のおかわりはいるか? とアランバルトが聞くと、イリオーデは「……あぁ」と短く答えた。
 のそりと立ち上がり、もう一度紅茶を入れながらアランバルトは「あ」と何かを思い出したように声を漏らした。

「そうだそうだ。これを踏まえて、今日一番聞いておかないといけなかった事があるんだよ」

 カチャリ、と並々紅茶を注いだティーカップをソーサーに置きながらアランバルトは切り出す。
 イリオーデが興味無さげにティーカップを手に取った瞬間、アランバルトがサラリと爆弾を落とした──。

「王女殿下の婚約者候補にお前の事を推薦してもいいか?」

 驚愕のあまり、イリオーデは紅茶の入ったティーカップをその手から落としてしまう。ガシャンッ! と音を立ててそれは床に落ちて砕けてしまった。

「……っ!? ぁ……、え……ッ?!」

 近年稀に見る取り乱しっぷりである。イリオーデは目を白黒とさせて、魚のように口元をパクパクとさせている。その頬には冷や汗がじわじわと滲む。

「何かよく分からないんだが、ケイリオル卿が『せっかくですから王女殿下にも婚約者をご用意しましょうかー』みたいな事を以前、有力貴族の臨時集会で言っててな。とりあえず推薦だけしてみようかと思っ……」
「きっ、聞いてないぞそんな事!?!?」
「ま、まぁ……多分またケイリオル卿の思い付きだろうし……」

 血相を変え、机を乗り越えて掴みかかって来たイリオーデに少し怯むアランバルト。あの人いつもそうだから、とケイリオルの自由っぷりと特権っぷりについて軽く補足するも、イリオーデの表情は依然として険しいままだった。

「流石に伯爵家以上の高位家門にしかこの話はしていないらしいが、それでも結構な数の男がいるからな。こうして推薦形式に……」
「王女殿下がご婚約される……だと……? そんな……」
「王女殿下が結婚されるのなら降嫁になるだろうなって」
「でも王女殿下は…………しかし……」
「話聞いてる??」

 俯き、ぶつぶつと血の気の引いた顔で言葉を紡いでは、更に顔色を悪くする。
 イリオーデはある事を考えていた。主の口から聞いた、あの言葉を。

「王女殿下は結婚願望が無いと、そうはっきり仰った。それなのに婚約者だと……? ケイリオル卿も突然何を考えているんだ? 確かに、皇族である王女殿下に婚約者がいない事の方がおかしい話ではあるが、だとしても……何故今? 皇太子妃選定が始まったからか……?」

 それが全て、僅かに震える己の口から漏れ出ているとも知らずに、イリオーデは必死に頭を働かせる。
 ケイリオルが突然、思い付きでそのような提案をした事の理由は何か。それを考えた結果、皇太子妃の選定が絡んでいるのではないかとイリオーデは推察した。

 まさにその通り。ケイリオルは皇太子たるフリードルの婚約者──即ち皇太子妃の選定が始まったので、これを機にアミレスにも本来あるべき婚約者をと動き出した。
 だがそれだけではない。ケイリオルにはもう一つの思惑があった。
『……──いくら、陛下と言えども。公にどこかの良家との婚約を認めたならば、彼女を戦争の理由にする事は出来ないでしょう』
 いつか視た、エリドルのぼんやりとした計画。そこではアミレスを利用して戦争を起こそうかと考えられていて、ケイリオルはそれを自然に阻止する方法を、密かに探していた。

 ケイリオルはエリドルを裏切れない。それだけは絶対に出来ない。だからこそ、せめてもの助力を……エリドルを裏切らない程度の暗躍を繰り返すしかなかったのだ。
 それ故に、ケイリオルは婚約という簡単でありながら重い契約方法を選んだ。加えて、本来皇族に与えられるべき権利として『影』を配属する事にした。
 『影』とはその皇族にのみ忠誠を誓う事になる。つまり──国ではなく皇族個人にのみ従う存在。皇帝たるエリドルの影響下から外れる存在となるのだ。

 だからケイリオルはそれをもアミレスに与える事にした。可能な限り、彼女の傍で彼女を守ってくれる者を増やそうと。
 エリドルは無情の皇帝だが、決して暴君では無い。
 王として相応しくない選択はしない。そのエリドルの在り方を信じて、ケイリオルはこの作戦に乗り出したのだ。

「マリエ……ごほん、ララルス侯爵もお前ならまだ一応認められなくもない気がすると言っていたから、とりあえず我が家からはお前を推薦しようかと思ったんだ。縁談を断るのなら、推薦してもいいか?」
「それはほとんど認めるつもりが無いという事だろう。それに、私が王女殿下の婚約者だと? 身の程知らずも甚だしい……」

 ようやく落ち着いてきたイリオーデが自嘲気味に呟くと、

「じゃあ王女殿下の隣に全然知らない男が立っていてもいいんだな? パーティーでお前がパートナーとして傍にいられなくなっても、いいんだな?」

 アランバルトがイリオーデの本音に問い掛けた。それにピクリ、と反応してイリオーデは押し黙る。

(──私、は……かつて、王女殿下の平凡な幸せを願っていた筈なんだ。家庭を持ち、愛する旦那と子供に囲まれて幸せそうに生きる王女殿下を、傍でお守りしたいと思っていた、筈だ)

 呆然としながら、イリオーデは青い顔で思案する。

「…………はぁ。とりあえず婚約者候補に推薦だけはしておくからな。ただ、こればかりは慎重な話だから途中で流れる可能性も十分にあるとの事だ」

 アランバルトはそれだけ言い残して、イリオーデを一人にしてあげようと静かに部屋を出た。そして一人で部屋に取り残されたイリオーデは──、

(どうして、王女殿下が家庭を築く姿を想像する事を、私の頭は拒否し続けるんだ? どうして、私の心臓はこんなにも傷むんだ?)

 初めての事態に我を失いそうになっていた。