いや、これは本当に殺意なのか? ……分からない。
 僕はあの女が嫌いだ。鬱陶しくて、邪魔で、煩わしい存在。僕のゆく道に現れては被害者面で邪魔をしてくる傍迷惑な女。いずれ棄てられる道具の分際で、一丁前に人間らしく生きている出来損ない。

 僕の悩みを増やし、精神的苦痛を味合わせてくるあの女が僕は大嫌いだ。憎らしい。疎ましい。
 よりにもよって悪魔なんぞを召喚し、僕の覇道を──この世界を危険に晒しているあの女が憎い。叶うなら、今すぐにでも殺したい。

 役に立つとか、道具だとか最早どうでもいい。この世から消し去りたい。もう二度と、僕の視界に入らぬよう。もう二度と、こんな風に心をかき乱されぬよう。

「──フリードル皇太子殿下。好きの反対は無関心、という一説をご存知ですか?」

 パーティーが終わり、西宮に戻る最中。ケイリオル卿がどこからともなく突然現れては突拍子の無い事を口走り始めた。『好き』などという言葉は今最も聞きたくない言葉だ。それを何故貴方が? と反射的に睨んでしまう。

「貴方様は、もっと彼女に無関心であるべきでした。かの御方とてそう…………結局の所、人は一度でも愛したものを完璧に憎む事など不可能なのですよ」

 突然何を言い出すんだ、この人は。

「どれだけ相手を憎み、殺意を抱こうとも。かつて相手を愛した記憶や思い出、その感情までもが全て消え失せる訳ではありません。貴方様も、ほんの一瞬でしたがその感情を抱いた事があったのですよ」

 とても柔らかで温かい声音で、ケイリオル卿はゆっくりと語る。その感情……? 一体、彼は何の話をしているんだ?

「……お悩みのようですから、私が断言致しましょう。王女殿下はフリードル皇太子殿下と皇帝陛下を心から憎むと同時に、心から愛しているようです。愛と憎しみは表裏一体と言いますが、これがまさにそれですね。そもそも無関心な相手に抱く憎しみなど、この世界には無いのですよ」

 ふふふ。とケイリオル卿の優雅な笑い声が聞こえて来る。
 本当に、あの女が未だに僕を愛していると? それに彼の言い方ではまるで僕があの女を少なからず愛しているような。
 何故、僕があの女を愛する必要があるんだ。あの女は道具だ、毒にも薬にもならない筈だった女だ。

「私がこのような事をわざわざ申し上げるのは、ひとえに貴方様に気付いて欲しかったからです。王女殿下を理解して欲しかった。何故なら王女殿下は──……貴方様の、たった一人の妹なのですから」

 とても優しく、しかしどこか後悔のようなものを感じさせる口調。ケイリオル卿は顔の布をヒラヒラと揺らして、「全てが終わってから気付く事は、とても悲しいですから」と付け加えた。

 たった一人の、僕の妹。──そんな言葉を胸に抱いたのは初めて……初めて……? 本当に、初めてなのか?
 違う。僕は確かに、たった一度だけ……あいつが産まれたその瞬間にその感情(・・・・)を抱いていた。母上から何度も何度も、『アミレスを守ってあげられるお兄ちゃんになってね』と言われていた。

 なのにその全てを僕は忘れていた。幼いながらも、母上の言葉に従おうと思っていたのに。
 いつからか、あの女は使い捨ての道具であると信じて疑わなかった。最早あの女は家族ではない、いずれこの手で殺す事になる出来損ないの荷物だと思っていた。
 僕は…………いつからあいつを道具だと思うようになったんだ? 僕は。僕は───、

「いつから……こうなっていたんだ?」

 あの悪寒に僕という存在が内側から侵されてゆく。分からない。わからない。ワカラナイ。
 また耳は遠くなって、視界は歪み、呼吸が少し荒くなる。
 自分というものが、分からなくなった。だってそうだ。今まで絶対だと思っていたものが根底から揺らぎ出したのだから。

 僕は一体、今まで何をしていたんだ。僕のして来た事は間違いだったのか? これから、僕はどうすればいいんですか?
 教えて下さい、父上。あの女を──アミレスを、僕はこれからどうすればいいんですか?

 めちゃくちゃになった頭を抱えて、僕は部屋に閉じこもった。そして僕の人生で最も重大な存在に願う。僕がこれから歩むべき道を、僕という存在の在り方を、何でもいいから教えて欲しいと。
 早く、早く答えを見つけないと。このままだと僕は──……僕でなくなってしまう。