まだかな、まだかな。そう、このパーティーに来るまでの時間ぐらい、今の僕はとてもワクワクとしていた。
 だってそうだろう? 一年ぶりに姫君と会えただけでなく、ダメ元で頼んでみたらダンスの相手を引き受けて貰えたのだから。

 二番目というのは少し気に食わないけど……でもまぁ、ここは大人の余裕というものを見せてあげようかなと。
 それにこの後は僕も彼女と踊れるのだから!

「お前…………気色悪ぃな。ずっとニヤニヤしやがって」

 スイーツの乗った皿を左手に、そのスイーツに刺したフォークを右手に持って、アンヘル君はこちらを蔑む。どうやら姫君から受け取ったスイーツ入りの箱は、結局全て分身に持たせたらしい。
 そんなに分かりやすくニヤニヤしていたのかな、僕は。まあそれも仕方ないな。

「だって姫君と踊れるのが嬉しいんだもーん」

 えへへ。と自分でも分かるぐらいだらしない顔を作って、アンヘル君へと自慢する。しかしアンヘル君は「あっそ」とすぐさま意識をスイーツに向けてしまった。
 本当に僕に興味無いな、アンヘル君……。

「お待たせしました、ミカリア様。そろそろ二曲目が始まりますので」

 気がついたらもう音楽が終わっていて、姫君が僕を迎えに来てくれた。
 アンヘル君なんかの事はとりあえず置いておいて、僕は喜んで姫君の方を振り向いた。

「はい、よろしくお願いしますね。姫君!」
「お手柔らかによろしくお願いします」

 お手をどうぞと手を差し出すと、姫君は柔らかく微笑んでその小さな手を乗せた。サテングローブの所為で直に姫君の体温を感じる事が出来なくて少し残念だけれど……それでも重ねられたこの手が、あの夕暮れの姫君との約束を思い出させてきて。

 あの約束を──あの光景を忘れた日はない。
 生まれて初めて出来た友達と、生まれて初めて指切りをして約束を交わした。何度思い返しても決して色褪せない、夕陽を背負う姫君の姿。
 黄昏に透き通る彼女の銀色の髪がとても美しかった。勿論今僕の前にいる、シャンデリアに照らされ輝く姫君もとても美しい。

 握った彼女の手を親指で擦るように撫でる。こんな小さな手で、彼女は剣をとり巨悪に立ち向かうのか。なんと勇敢で、なんと危うい事か。

「姫君は本当に多才ですね。ダンスもお上手とは」
「そう言っていただけて嬉しいですわ」

 ……こうして見れば、本当に、普通の女の子なのにな。
 とっても可愛く綺麗にお洒落して、たくさん笑って日々を楽しんで。世間一般的な女の子達が当たり前にしているのに──この少女はその当たり前すらも叶わないのか。

 惨憺たるこの世全ての汚泥をも見て来たと自負する僕だけれど、ここまで心動かされる事は久々だ。どこかの国が滅んだ時も、この手で多くの異教徒を殺した時も、何人もの仲間達を葬送した時も、ここまで心が動く事はなかった。

 こんなにも特定の誰かの事で胸が締め付けられ、激情に襲われるのは……多分、アンヘル君との一件以来だな。僕にとっての宝物。たった一人の知人と、たった一人の友達。そんな人達だからだろうな、この心が酷く揺れ動くのは。

「……あの、ミカリア様。一つお聞きしたい事がありまして」

 音楽に合わせてふわりと踊っていると、姫君がおもむろに切り出した。僕はそれに、「はい、なんですか?」と返す。
 姫君はどこか躊躇う仕草を見せたかと思えば、突然踵を上げて背伸びをして、

「例えばの話なんですけど、加護属性《ギフト》を持つ人が現れたら、この世界はどうなると思いますか?」

 顔を寄せて囁いた。
 それには僕も表情が固まる。もしかして、姫君は知っているのか? 天の加護属性《ギフト》を持つ愛し子の存在を。あれは世間には伏せられている事だけど、西方諸国の君主達には二十年程前に神託の話をしたから、各君主はこれを知っている。

 姫君がそれをどこかで聞いたならば、この世界のどこかに加護属性《ギフト》所持者が現れるかもしれない。と考えてもおかしくはないね。姫君はとても聡明だから、単純に加護属性《ギフト》の存在を知ってその可能性を考えただけかもしれないけど。

 さて。どう答えるべきかな。姫君に隠し事はしたくないのだけど、愛し子の事はまだ一応秘匿対象だからなぁ。
 いずれ改めて世間に公表する予定だし、その時までは言わない方がいいかな。下手に事を知ってしまうと、場合によっては抹殺対象になったりするかもしれないし、姫君の安全の為にもここは話さない方がいいな。
 しかし、姫君はどうして急にそんな事を?

「そうですね、国家間の争奪戦になるかと。加護属性《ギフト》所持者が一人でもいれば、その国の覇道は約束されたようなものですから」
「あー……やっぱりそうなるんですね」

 流石は姫君だ。僕の答えも予測の範囲内だったらしい。

「加護属性《ギフト》って百害あって一利なしじゃない……」

 ボソリと、音楽に上塗りされるぐらいの小さな声で彼女は呟いた。
 その瞳は虚しさとやるせなさに満ちていて、どうしてか十三歳の姫君がもっと大人であるように見えてしまった。それだけ、大人っぽい雰囲気だったのだ。

 ふむふむ、姫君は加護属性《ギフト》の事について興味関心があるんだね。本当に、話してあげたいのはやまやまなんだけど、愛し子──ミシェル・ローゼラの話は出来ない。
 僕達にとってもかなりの悩みの種だからね、彼女は。最近は大司教達の教育の賜物かようやく少し落ち着いて、『まぁ確かにレベリングは大事か』とか何とかよく分からない事を言って勉強や加護属性《ギフト》の特訓などにも大人しく取り組むようになったけど。

 それでもあの無垢で傲慢な少女が厄介な事には変わりない。彼女に関する報告を聞く度に、僕の中で勝手に姫君の株が上がるぐらいには厄介だ。
 何度も何度も……神々の愛し子が姫君であればよかったのに。そう、良からぬ言葉を飲み込んだ。
 決して口に出してはならないそれを、僕は僕の心の中に必死に留めていた。そして姫君への思慕をまた強くするのだ。

 僕は存外とても単純な男で、姫君の事を考えるだけで姫君の事がもっと好きになってしまう。毎日二十時間ぐらいは姫君の事を考えているのだから、もうこれは恋だと断定せざるを得ないレベルになっていて。
 ラフィリアが、僕はまだ壊れていないからこれは恋じゃないと言っていたけれど……そもそもが間違いだったんだ。

 恋をしたら壊れるのではなく。恋をするまでの僕が、壊れていたのだ。だってそうでしょう? 人としてあるべきもの──愛というものを僕は知らなかった。持っていなかった。
 それを姫君への恋心と共に得て、ようやく人としての欠陥を僕は補えた。
 今までずっと壊れていた僕は、ようやくあるべき状態へと変わったのだ。それをラフィリアは僕が壊れたと解釈したようだけど…………実際には逆なんだよね。

 こんなにもキラキラとした感情が、溢れ出る熱い想いが、僕を壊す要素な訳が無い。これまでの僕を否定する訳ではないけれど、ひとまず言わせて欲しい。
 僕は──……今の僕ならば好きになれそうだよ、ラフィリア。これも全部、姫君のお陰だけどね。