「……そ、そりゃどーも……あのお嬢、その、い……いつまで……手……」

 イアンがぎこちない口調で呟く。ああ確かに、こんなにも詰め寄ってはきっと圧迫感が凄まじい事でしょう。早く離れてやらなければ。
 それに気づいた私は、「これは失礼を」と言いつつパッと手を離し、改めて座り直しました。そんな私達の様子を向かいに座るシャンパージュ伯爵が生暖かい目で見守っていて。……あの視線は一体何なのでしょうか。

 不思議な空気のまま馬車に揺られ、やがて私達はララルス邸に辿り着きました。門の前にて馬車は一度止まり、御者がシャンパージュ伯爵の馬車であると門番に伝えると、門はあっさりと開いた。
 不正ばかりの現在の侯爵家に、シャンパージュ伯爵の来訪を妨げる力など全く無いのですよ。
 八年ぶりの実家。昔とさして変わらない適当に取り繕っただけの庭に、無駄に豪奢に改築された本邸。窓越しには、仕事もせず雑談に花を咲かせる侍女の姿も見えた。

 ああ、本当に…………全く成長しませんね、この家は。寧ろ悪化している。このような所が我が実家など死んでも姫様に知られたくない。素面でそう心底思ってしまいます。
 そして邸の正面玄関前に着くと、邸から見覚えのある男が慌てて出てきました。彼は昔から母と私にも良くして下さっていた、ララルス侯爵家の執事長フルカ。あまりにも優秀な為か、あの男の秘書の真似事もやらされているらしい。

 八年前に見た時より随分と痩せ細り、綺麗な群青色の髪は色が抜けて白髪が増えている。目の下には重い隈が残り、彼の苦労が窺える。あの男に相当扱き使われているのでしょう。
 それでも決して背を曲げず、執事長として美しく佇む姿は──……かつて幼い私が憧れたフルカの姿と全く変わらない。やはり、彼は尊敬すべき使用人の鑑だ。

「こんな早朝より突然の訪問……申し訳なく思います。何分急を要する事で」
「──いえ、他ならぬシャンパージュ伯爵のご訪問とあればいついかなる時も門を開くよう、旦那様から仰せつかっておりますので」

 まず先にシャンパージュ伯爵が馬車を降り、フルカと言葉を交わす。どうやらあの屑はシャンパージュ伯爵にかなりの借りがあるとかで……シャンパージュ伯爵は出入り自由のよう。

「実は今日は私の客人も連れて来ていてね、馬車に待たせているんだが呼んでも構わないか?」
「勿論でございます。お客様共々おもてなしさせていただきます」

 シャンパージュ伯爵が扉を開いてこちらに顔を出す。そしてニヤリと笑って「さ、お手をどうぞ」と手を差し出して来た。どうやら私は彼の客人としてフルカの前に立つ事になりそうですね。別に今はそれで構いませんが……。

 シャンパージュ伯爵のエスコートを受け、私は八年ぶりにこの邸に降り立ちました。馬車から姿を見せた私の姿に、フルカが酷く愕然としている。
 執事たるもの、どのような状況であっても表情を表に出してはならない。そう仰っていたフルカがこれ程に我を忘れるなんて、私の存在がそれ程彼にとって大きいものだったと勘違いしてもいいのでしょうか。