私から姫様に別れを告げる日が来るなど思いもしなかった。
 私から姫様のお傍を離れる日が来るなど思いもしなかった。

 ずっとずっと、姫様のお傍で侍女として彼女を支えていくものだと……漠然とそう思っていたから。ああ……それがこんなにも、辛い事なんて。

 心臓が握り潰されたかのように痛む。苦しく、辛く心が軋む。目頭が熱くなり、視界が水中かのように揺らぎ始めた。私の心が泣いているようでした。
 ポタリポタリと、短い間隔で落ちてゆく水滴。それの所為か、私の頬は雨に打たれたかのように濡れていた。

「……ぅ、嫌、です……本当、は……姫様と、別れる……なん、て……っ!」

 往生際の悪い嗚咽が、醜悪な泣き言が、溢れ出る感情が私の心を埋め尽くしてゆく。
 ……──嫌だ。嫌だ! ずっと姫様と一緒にいたい。これから先も姫様の一番でありたい! 何かあった時に姫様に頼っていただける、彼女の一番の味方でありたい!

 こんな風に離れたくない。侍女だって辞めたくない。ずっと、姫様に『ハイラ』と呼んでいただきたい! 『マリエル・シュー・ララルス』に戻るつもりなんて無かったのに……死ぬまで、姫様の侍女のハイラでいられると思っていたのに。

 それなのに。今の私には、この道しか選べないのです。こうする事でしか、私では姫様をお守りする事もお支えする事も出来ませんから。
 どれだけ辛くて悲しかろうと、私はこうしなければならないのです。だってこれが、最愛の少女を守る事が出来る、唯一の手段ですから。

「……──では。行ってまいります、姫様。私が次に此処に来るまでには、お目覚めになって下さいね」

 まだ満足に陽も登らぬうちに。私は自分の目元を擦り、何とかなけなしの気合いで虚勢を張りました。ゆっくりと立ち上がり、侍女服を翻して姫様の寝室を後にする。
 部屋の前にはイリオーデ卿が立っていた。部屋に入る時にも彼には会いましたが、夜間はずっと同じ場所で不寝番をしていたようです。

「後の事は任せましたよ、イリオーデ卿」
「……ああ。そちらも頑張ってくれ、ララルス嬢」

 こうして侍女らしくお辞儀をするのも最後になるやもしれない。なんて考えつつ私はイリオーデ卿に向けて一礼しました。彼は訳知り顔で激励の言葉をかけてくださった。

 そして私は歩き出す。母の影響で侍女である間はずっと後ろで一纏めにしておいた髪を下ろし、使用人宿舎にある自室を目指して規則正しい足音を響かせた。
 使用人宿舎で侍女服を脱ぎ、私的な身動きの取りやすいドレスに着替える。こんな風にドレスを着るのは久しぶりですが……まあ、見栄えはどうでもいいでしょう。

 ドレスを着て人目を避けて使用人宿舎を出る。そして王城の敷地をも出て暫く歩き、人気の無い場所で「出てきなさい」と彼等を呼んだ。
 途端に私の前に現れるは、同じ衣服に身を包んだ十四人の男女。彼等がララルス家の誇る諜報部隊カラス。早々に無能な屑に愛想を尽かして、幼い私に仕えるなどと言い出した変わり者達。

 表向きにはまだララルス侯爵に仕えている事になっているので、私との接触は秘密裏に行っているとの事。