「僕は諜報部所属、偽名《コードネーム》サ──っ!?」
「エルッ!!」

 エルには記憶が無いと分かっているのに。俺は何も考えずに抱き着いていた。九年経っても俺より少し小さいエルの体をぎゅっと抱き締めて、俺はまた涙を流して嗚咽を漏らした。

「エル、エル……っ! まさ、か……こんな所で、会える……なんっ、て……!!」

 奇跡だ。まさかこんなにも早く、エルに会えるなんて。
 言葉が出てこない。ただ俺の脳裏にはあの御方の言葉がよぎっていた──『きっと、望みだってすぐに叶うわ』……そう、あの御方は言っていた。だけどまさか、本当に……こんなにもすぐ叶うなんて思わないじゃないか。こんなにも、貴女の言う通りになると思わなかったんだ。
 心の準備が全く出来ていなかった。拒まれるとか、嫌われるとか、後の事は何も考えずにエルを抱きしめていた。

「にい、ちゃん」

 耳元に聞こえる、懐かしい響き。記憶の無い筈のエルの口からそんな言葉が聞こえてしまえば……そんなの、期待してしまうだろ。

「エル? エル、そうだよ。兄ちゃんだよ。ごめん、ごめん……! 今までずっと、捜し出せなくて……っ、こんな弱くて愚かな兄ちゃんで、ごめんなぁ……!!」
「…………ああ、そうか。貴方は、僕の兄ちゃん……なのか」

 意味が無いのに、それでもなお謝る俺に向けてエルは困惑していた。やっぱり記憶が無い……でも、こうしてエルと会えただけで、俺は……っ、俺は……幸せだよ。エル。ずっと……ずっと、会いたかったんだ。
 こんな兄ちゃんでごめん、弱くて馬鹿な兄ちゃんでごめん、あの日お前の事を守れなくてごめん、怪我させちゃったよな、一人ぼっちにしちゃったよな、本当に……本当にごめんな、エル。
 優しいエルは、記憶を喪っているにも関わらず俺の事を抱き締めてくれた。優しくて思いやりのある自慢の、大好きなたった一人の弟。

 九年間、お前を思わなかった日は無かったよ。ただずっと、エルに会いたい一心で兄ちゃんはここまで頑張れたんだ。兄ちゃんの事なんか何も覚えてないだろうけど……エルさえ良ければ、兄ちゃんの事や母さんや父さんの話をさせてくれないか? 
 ああでも、兄ちゃんは先にエルの話が聞きたいよ。記憶が無くなって大変だっただろう、苦労もしただろう。これまでの九年間をどう過ごしていたのか、良かったら兄ちゃんにも聞かせて欲しい。
 辛い事は無かったか? 痛い事は無かったか? 苦しい事は無かったか? 悲しい事は無かったか? 嬉しい事はあった? 楽しい事はあった? これまでの九年は、エルにとってどんなものだった?
 これまでの九年を一緒に取り戻して行こう、エル。あの御方のお陰で、俺にはまだ時間がある。エルがここの人間なら、俺はこれからもエルと一緒にいられるから。

「エル……っ、これからは、ずっと……ずっと一緒にいような……!」

 ああそうだ、いつかこれも話したいな。弱くて馬鹿で愚かな俺を救ってくれた女神様みたいな御方の話。信じられない奇跡を起こして俺とエルを再会させてくれた…………俺の全てを捧げたい、たった一人の女性の事。
 本当に凄い御方なんだ。目が覚めるような可愛らしさの人で、きっとエルもすぐに彼女の素晴らしさが分かるよ。こんな言葉一つでは言い表せないぐらい凄い御方なんだよ。この事をちゃんと話すとなると時間がかかるな……でも大丈夫か。
 だってこれからは──……ずっと一緒にいられるんだから。