『──ハイラ、きょうからよろしくね』

 姫様が私にあの名をくれた日を、私は覚えている。
 本名が嫌いで、名乗る事も嫌だった私に……あの御方は新しい名をくれた。優しく微笑み、手を差し伸べて下さった。
 私に、もう一度夢を見させてくれた。
 私よりもずっと幼くて、可愛らしい健気な王女様。綺麗な銀色の髪に透き通るような寒色の瞳が美しいアミレス様。
 私は……貴女に選んで頂けた事が何よりの幸せなのです。


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 私の名前……本名は名乗りたくもありません。ただ一つ言っておくならば、どこぞの帝国貴族の私生児だったとだけ言っておきます。
 私が産まれた家は、それはもう愚かな人ばかりでした。その家の侍女だった私の母に求愛し手を出した当主の男に、人目も憚らず白昼堂々家に愛人を連れ込む夫人。蛙の子は蛙と言うようにその子供達もまた屑……ごほん、救いようの無い人達でした。

 私が十六歳の時、母がついに衰弱死してしまいました。いつもいつも私に『こんな家に産んでしまってごめんね』と謝っていた母でしたが、私はそんな母をとても愛していましたし、母にこんな事を言わせるあの家が大嫌いでした。
 そして母が死んで早々に、あの男は母を失った悲しみを娘の私で埋めようとして来たのです。勿論、そうなる前に逃げ出しました。
 幼い頃より母に言われていたのです……一人でも生きていける力をつけて、母がいなくなったらすぐにこの家を出なさいと。その為に私は様々な知識や技術に戦闘術まで幅広く習得していったのです。……戦闘術は若干趣味でもありましたけども。
 家を出る際、私は自分の物をほぼ全て持って行く事にしました。武器の類に母との思い出が綴られた日記、宝石やらまだ着ていない洋服やあの男に押し付けられた無駄に華美なドレスは、売って金にしましたけどね。
 後は絵本やアクセサリーなどの母との思い出の品でしょうか。私はその絵本……『ハイラの杖』をよく母に昔読み聞かせて貰っていて、その物語が大好きだったのです。
 いざ家を出て私が向かったのは帝都の情報屋でした。運良く魔力にも恵まれ、そこそこ戦えるのですから何か冒険者や傭兵の真似事でもしてみようかと思ったのです。
 ……しかし、名を隠していた為か私のような身元不確かな元貴族令嬢らしき人物に仕事が来るはずも無く。どうしたものかと途方に暮れていると、一人のご婦人に話しかけられました。