「……元よりそのつもりです。姫様をお守りし姫様の幸福を支える為に、私は今もこうして生きているのですから」
(──例え相手が皇帝陛下だろうが皇太子殿下だろうが関係ありません。姫様の為ならば、私は何だってしてみせる)

 ハイラが放った言葉は私を安心させた。
 ハイラが思った決意は私に勇気を与えた。
 本当に……王女殿下の傍に彼女がいて良かった。あの日彼女が皇宮の侍女となってくれて良かった。何があっても王女殿下を裏切らない強い味方がいて良かった。
 本当に、良かった。

「そうですか、それは良かった。簒奪に関しては私の方で責任をもって処理しますので、お好きなようになさって下さい」
「有難うございます。では私はこの辺りで」

 簒奪許可申請書に印を捺し手渡す。それを受け取った彼女は慎ましく一礼し、部屋を出ようと扉に手をかけた所で立ち止まる。
 少しこちらを振り返って、彼女は最後に言った。

「……体調が芳しくないようであれば素直に休むべきかと。卿の場合、体調と言うより精神的な負荷に見受けられますが……忠告はしましたからね」

 それを聞いて私はあんぐりとした。
 まさか見抜かれるなんて。王女殿下の自決と言う言葉を皮切りに、今まで押し込めて無理やり塗り替えて来た様々な感情が押し寄せて……正直なところ、自分でも自分がとても弱っている自覚はあったのですよ。
 こんなにも女々しく感傷的な事ばかり考えている時点で黒ですね。
 これまでずっと、飄々としていて掴み所の無いミステリアスな探偵気取りの謎のお兄さんを必死に演じていたのですが……最早それも無理そうですねぇ。

 推理小説が好きなのは事実ですし幼い頃探偵に憧れていたのも事実ですが、我ながら無茶な設定をしたものですね……いくら王女殿下への様々な感情を抑え込み消し去ろうとしていたとは言え。
 無茶な処置だったからこそ、たったの十年程で化けの皮が剥がれてしまったのでしょう。我ながらなんと不甲斐ない。
 まさかここまで私の精神が脆弱だったとは……私もそれなりに氷のように冷徹な精神を持っていると思っていたのですが。思い上がりもいい所。

 いやぁ、恥ずかしいですね。その時々で本気で不思議な人物を演じて来ましたけども……思い返すと本当に恥ずかしい。何がしたかったんでしょう。
 自分すらも騙す演技力とは、私、役者に向いているのかもしれませんね。
 いくら王女殿下を守る為とはいえ……馬鹿だなぁ、私。昔何度も兄上に『お前は本当に愚かだ』と言われていたのに……まさか忘れてしまうとは。

「──……彼女の言葉に従い、休んだ方が良さそうですね」

 あまりにも本調子では無い我が身から、私はついそんな言葉を漏らしてしまった。
 仕事など後で纏めてやればいい。だから私は隣の小部屋で一休みする事にした。
 備え付けられている小さな寝台《ベッド》に倒れ込み瞼を閉じる。
 そこに映るは遠目で見たあの少女の笑顔。私達の前では絶対にしないような、純粋で輝かしい笑顔。

 ようやく思い出した。思い出す事が出来た──……私は、あの笑顔を守りたかったのです。
 それがあの人との約束だから。それが私に出来る何よりの恩返しだから。それが私の、最後の望みだから。

『産まれてくるこの子にもフリードルと同じくらい沢山の愛情を与えてあげたいわ。そうして、愛する旦那様と愛する子供達に囲まれて、私は毎日幸せに笑って過ごしたいの』

 無理やり閉じていた記憶の蓋が開かれ、次々に目を逸らしていた記憶が思い出される。
 その光景の中で、かつてあの人がそう願ったように。
 フリードル殿下も王女殿下も……もっと愛を与えられて然るべきだったのだ。
 だからね、私は……可能な限り御二方に愛を与えたい。幸せを知ってもらいたいのです。
 このような所で終わって欲しくない。もっと、もっと沢山生きて欲しい。
 だから、だから──。

「……どうか、ご自身の価値を我々に証明して下さい」

 ──例え皇帝陛下であろうとも、容易に貴女の首を落とせないように。